桃の節句の 季節ですね。
太陽の光も まぶしく輝いて
春めいてきました。
先日、九州産のタケノコを いただきました。
もうすぐ ももの節句 ひなまつり
春が やってきます。
気功教室で講師をしています。中国元極功法800年の伝統を受け継いだ功法です。
ある病気を 克服しつつある修練者が、先輩として 話をしてくれました。
同じ、病気に苦しんでいる 後輩への アドバイスです。
その 修練者の後輩は 不安をいっぱい抱えて 悩んでいました。
これから先、いったいどうして 歩いていけばいいのか 判らない。
という不安です。
そして、病気を克服しつつある先輩は 後輩に対して
こんな すてきなアドバイスを してくださいました。
「これから先に 起きるかも知れないことを あれこれ 心配するよりも
ただただ 修練をすることだと 思います。
そうすれば 自ずから 自分が 何をするべきか 判ってきますよ。 と
ただただ、懸命に 信じて修練をする。
単純で 簡単なようで 一番難しいことです。
このことが できるかどうかが すべての みちしるべの 鍵になります。
さて、あなたは…
そして 私は…
私が 学生の頃
とても仲の良い 友達がいました。
たまたま、くじ引きで 割り当てられた 部屋が同じだったのです。
半年間 同じ部屋で過ごして 心が通じ合って 仲良くなったのですが、
それは くじびきがもたらした 「偶然」でした。
その彼女は 私の誘いに同じて 長~く現在も 修練しているのですが
その彼女の 娘さんが 目に見えないモノ(神様の姿など)が みえたり
神様の 意識が受け取れたりする 特殊効能を持ちます。
神様に 伺いましたら
私と 彼女が 友達になり
その後、私は 日之本元極に出会って 講師となり
彼女は 功法を修練して 娘さんは 神を観る
そういう 宿命です。
と言われます。
くじ引きや じゃんけんの 偶然の結果までもが
「宿命」 という 定めだったことが 判りました。
すべては、神様の意図なんだから
すべては、仕方がないと あきらめるしかありません
後悔しないこと
後悔しない 努力をしながら 導きに従って 歩きます。
日之本元極には 偶然が たびたび おこります。
平成14年 高山に 日之本元極が 開設されたときに
膵臓の悪い方が 来られました。
そして、次々に
膵臓結石 糖尿病 膵炎 膵臓ガン の 方々などなど
次から 次に 膵臓が悪い方が 来られるようになりました。
きっと、膵臓を よくよく 観るように
よく観察するように とことん感じてみるように
神様が 偶然を創られたのでしょう。
そうして、膵臓にいる 「神ぽうの神様」 の 存在が徐々に
知らされて 姿が 発見されて 判ってきたのです。
そんな 偶然が ありました。
神様は 結果を知っていて 偶然を 創りだすのでしょう。
「歴史は 未来から 創られています。」
「偶然は 創られるのです。」 と
おっしゃっています。
先日のこと
携帯電話のケーブルを 失ったので お店に行って 注文しました。
そして、注文の商品が お店に入庫するまで ケーブルを貸してくださいました。
受け取りの当日 あろうことか 私は
借りていて 返さなければいけない ケーブルをうっかり 忘れてお店に入りました。
借りたケーブルと 注文のケーブルを 引き代えます。 という 条件だったので
カウンターの前に 座ったとたん 私は
「ああ^ぁ ごめんなさい。ケーブル忘れてしまいました。」 と ため息をつきました。
すると 携帯屋の お姉さん
「ああ~ぁ すみません。」 と しきりに恐縮されます。
「せっかくきたけれど、また出直しますね」 と しょげかえる 私に
「すいません。申し訳ありません。ごめんなさい。」 と 何度もあやまる 携帯屋の お姉さん
謝っていただくような ことでは ないのですが、
この 「すいません。」には、いろんな 気持ちが 込められていました。
日本人は 「すいません」 を使いすぎて すべてを 曖昧にする。 と
よく話題になりますが、「すいません」 の 言葉を繰り返すだけで
会話が なりたつのも 悪くはないよなぁ と 思いながら 帰りました。
「すいません。」 いい言葉ですよね。
「すいません」 は 「すみません」 の 間違いではありません。
念のため
母親が、通っているデイサービスを 代わりました。
規模の大きな 立派な施設から
小規模で、民家を改造した 施設に変わったのです。
通っている方々も 元気な方が多くて 話ができますし
食事も 職員の方々の 雰囲気も
とても良いので 喜んで通っています
さらに、運転手さんは、なんと 大阪の方で
母親の自宅の すぐそばの ご出身の方でした。
大阪弁に 花が咲いています。
さらに、「毎日でもこのデイサービスに 通いたい」と 言っていますが
ここで、浮かれた気持ちに ブレーキがかかります。
「日之本に 修練に通わんと アカン あかん」
「修練するから、いいところに 出会えたんやから…」
「修練せな あかん」 と母親が 言いました。
いつも 元気に 楽しく過ごせるのも
「修練を 頑張っているからや」
「神様に いつも 感謝しているかや 」
「増田先生に ありがとう と 言ってるからや」
本気で、そう 思っているらしいです。
先日のこと、母親を 美容院に連れて行きました。
きれいに カットされたヘアースタイルを 鏡にうつして
美容師さんが、言われます。
「いかがでしょうか?」 と
すると 母親は おどろいて 言ったのです。
「ひや~ぁ 顔がえらい 白く なりましたわ」
顔にあった ここの シミもなくなったし この黒い顔が ほんまに 白い顔に 変わりましたわぁ
高山にきてから 手のひらで 顔をこすることが 多くなったから、
毎日のように こするから 白くなりましたわ
と ご満悦のようす
そういえば、いつもは
背中から 光を照らして 鏡を見ているので 逆光のために
真っ黒に見えるんでしょうね、
ヘアスタイルより なにより
顔色が 白く変化したことが 驚きだった ようでした。
修練すると 顔色が 白くなり
シワは へり
シミも 減ります。
少なくとも 現状維持できると 思います。
私も 修練 頑張ります。
デイサービスに 通っている母親が 利用している 施設を変わりました。
風呂などの設備の良い 従来の施設は 重症の方々が多くて
自分の やりたい 塗り絵や 針仕事、手芸などが できなかったので
親切なケアマネージャさんの 助言で変わったのです。
昨日、日之本元極は 定休日でしたので
今まで お世話になっていた デイサービスの施設に お礼に行ってきました。
私は、ほとんど 施設のスタッフの方に お目にかかったことがありません。
にもかかわらず、スタッフの方から 声を かけていただきました。
「あらぁ! ○○さん。こんにちは」 と
それも 一人やふたりの スタッフではなく
次から次に
「あらぁ~ お母さん お元気ですか?」 と
私は 名前を名乗らず 「こんにちは。」 と あいさつしただけなのになぁ~~
「どうして 私が娘だと 判るのかしら…\(*`∧´)/ 」 と 思っていると
「本当に よく 似て いらっしゃいますねぇ」 と だめ押しの 一言 (´д`lll)
ああ~~ 立ち上がれないほど ショック (●´ω`●)ゞ
増田先生が いつも 私と母親を
「双子の姉妹だね」 と 言われるけど
本当に にているのかしら
そっと、鏡を みる ありゃ Y(>_<、)Y
「もとつきわみ珠」のネックレスを 買った方から お問い合わせがありました。
私が出したメールを ご紹介します。
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ネックレスの石ですが、
紫の石が中にひびが増えて
黄色の石が穴の所が黒くなって
透明で線が掘ってある石に 緑のポツポツが出て来てる
大丈夫でしょうか?
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ネックレスですが、体調が悪い方の場合には、邪気(悪いもの)がたくさん出ますので、石がその影響を受けている可能性もあります。
石そのものは、エネルギーが満ちていますので、汚れによって力を失うことはありませんが、石の外部についた汚れは、「天のまなみ」を含ませた布で時々拭いてくださると良いと思います。
「石の色が変わる」「斑点がでる」ということも たびたび経験していますが、心配はありません。
一般的には硬い石の色が変わることは、無いといわれていますが、日之本元極の「もとつきわみ珠」では、強いエネルギーの作用で、石の色が薄くなるなどの変化が起きています。
同じ石でも、身につける方によって、色が薄くなる方もいれば、濃くなるような方もおいでです。
例えば、五臓の神の絵が、石に彫られているのですが、肺の悪い方では 肺にいらっしゃる白虎の神様の色が落ちてしまうようなことも 起きています。まるで、白虎の神様が働きすぎて、疲れていらっしゃるような有様です。
石は、身につける方に 適合したモノとなりますから、Aさんが修練をされて 力をつけられるとさらに、パワーアップしていくという仕組みです。
また、石をつないでいる糸は、「テングス」(釣り糸)ですから、よほどのことがない限り、滅多に切れることはありませんが、邪気によって切れやすい方もおられます。
特に、体調が悪い方が、初めて身につけたときには、一ヶ月くらいで切れてしまった方もおいでです。もちろん、二年間24時間身につけていても 切れない と言う方もおられます。
切れたときには、もとつきわみ図が、彫ってある紫と赤い色の珠が重要なので、なくさないようにして、修理をご依頼ください。
高山の新宮支部に送ってくだされば、修理をお引き受けします。