京都の 下鴨神社に 呼ばれて出かけた。
きれいな円錐状に 高く大きく 摘まれた
「砂の山」があった。

よくよく みると
この砂が 何カ所か
人の手によって 削られて 壊されている

これほど きれいに砂を 積み上げた人のこころ と
きれいなものを 壊してしまう 人の こころ を
ふと 思い返して 悲しくなった。

「全ての人は 救えない。」

増田先生が「さとりの講座」で言われた言葉が
頭の中で 響き渡って 繰り返された

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室  下鴨神社

自分の 出来ることをする
余暇を利用して 人のためにつくす
ボランティアは、無意味です。

自分の 身を捨てて
人のために 尽くせるかどうか
それが課題だと 増田先生は言う。

私は、本当に 自分のみを捨てることが 出来るだろうか

自己に捕らわれる 不安も ある。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 石仏

小さな頃から 神仏の存在を あまり信じていなかった。

神社仏閣は、世の中を納める者の 権力の象徴として
利用されてきたモノであり、全く 無意味だと 想いこんでいた。

けれども、打って変わって
本当に、神は宇宙の存在として それぞれに居場所があると 知ったので、

最近は、神社や寺に出かけることが 多くなった。

小さいときから、お坊さんや 神様の存在を信じていなかったし、
反感さえ持っていたのに
「般若心経」が なぜか 好きだった。

「般若心経」の意味するところも
その訳も 全く分からないのに
「般若心経」を何となく聴いているのが好きだった。

特に、父親が亡くなった時に


「そのまま。そのまま。そのまま。」と言って
整わない部屋で 留守番の子供(私)相手に 

唱えてくださった お坊さんの お経が好きだった。
慈愛に満ちた心が、声に現れるのだろうか。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 遅い秋

私が、保健婦学校の 教育心理学で学んだことは、

「甘えることの出来ない しっかり者に注意しなさいよ。」 と説いた教授の言葉だった。

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しっかり者は、しっかりしているが故に

周りから、手をかけられないし、自分で処理出来る能力も持っている。

しかし、このしっかり者のなかに、心身症は潜みやすい。 

しっかり者こそ、甘え(依存)を望んでいるのに、

しっかり者の評価故に、甘えることが出来ないので

心の病が身体に出やすいのですよ。

**********

と 教授は 数多くの症例を お話くださった。

確かに、しっかり者の頑張り屋は、心身症に陥りやすい。と

長年の 保健室の経験から悟る 事が多い。

私も しっかり者だから 気をつけなくっちゃ! (*^_^*)

「甘えの構造」という本がある。
東京大学精神学教授の土居健郎氏のの著書である。

私が、保健婦学校の学生の頃に、紹介されて読み出した書籍で、続編やら、その解説本を含めるとかなり、たくさんの冊数になる。

著者の土居氏は、

「甘え」は日本人の日常生活にしばしば見られる感情だが、著者は外国にはそれに対応する適切な語彙がないことに気づいた。そんな自身のカルチャーショックから洞察を重ね、フロイトの精神分析、ベネディクトの『菊と刀』、サピア・ウォーフの文化言語論などを比較検討し、「甘え」理論を構築、人間心理の本質を丹念に追究した。
「甘え」は「つきはなされてしまうことを否定し、接近欲求を含み、分離する感情を別のよりよい方法で解決しようとすること」と定義される。

と定義して、書き進めている。

この書物は、読み応えがあり、なかなか、興味をそそるのだけれども

それ以上に

私が、保健婦学校の 教育心理学で学んだことは、

「甘えることの出来ない しっかり者に注意しなさいよ。」 

と説いた教授の言葉だった。

手のかかる子供は、やっかいだけれども

だだをこねて、人を手こずらせる。

それなりに、生きるすべを学んでいる。

人を困らせながら、誰かに助けてもらう 術を獲得していく。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 日枝神社社

自分の身体の 症状に捕らわれていて

他のことが 見えない人がいる

周りの状況は さておいて 

周りの 人たちの 気持ちはさておいて

自分の身体のことが 最優先する。

そして、宣う言葉は

誰も 私の苦しみを 分かって 「くれない」

死ぬほど辛い気持ちを 分かって 「くれない」

ならば

「分かってくれないから」 分かってもらいたいので

病状が、再燃焼する。

無意識が 働いて 病状を再燃させて 「分かってもらおうと努力する」

無意識のなせる技は、本当に 症状が出てしまうので 始末が悪い。

これが、心身症。

心は、身体を支配する。

全てを 水に流す事なんて
簡単だけれども なかなか できない

水に流したつもりでも
怒りやイライラの ついでに 蘇って 顔を出す

人への想いや
金品への 執着を
すべて 流したいモノだと 思う。

修行者たちは、そういう思いで、滝に打たれたのだろうか

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 滝

日之本元極の 修練をはじめて 7年目になる。
私の「こだわり」の数々は、 簡単に 捨て去られた。

こだわっていた モノ 服 集めていたアクセサリー 
記念品 思い出の品々 写真

趣味の 山登り 旅行 本 いろんな資格試験
ブランドの品物などなど

何も「もの」はいらない!と思うようになった。

世間体、 おつきあい 体裁 評価
そういう、すべてを 捨ててみたら

「こだわり」が無くなった。
シンプルな 心で 考えてみたら

人が生きる って 何にも いらない。
健康な 身体と精神があれば、人は気持ちよく 生きれる。

と考えられるようになってきた。 

手に持つ 荷物
腹に 抱える思い 執着 を 全て捨てると 

新たな道が見えるのだと思う

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 赤い花