無形のエネルギーの存在

「受講生のSさんが、 脳梗塞で倒れた。」
と知らせがあった。

残念だけれども 「やっぱり!」と 思った。
昨年の秋頃から、とんと 修練をしなくなった Sさん。

「修練を頑張りましょうね」と 
私が声をかけると

ずいぶん健康になったから…だから大丈夫ですよ」 
と笑顔で返すのが、口癖だった。

けれども、私には とっても身体の調子が悪く見えたんです。

我々は、どうも 無形の身体を観ているようです。
見えない無形の肉体が、有形の肉体に重なっている。

無形の肉体の気の流れが 乱れると
結果的に 有形の肉体にも影響が出る。

だから、無形の肉体に 働きかけて
気の流れを調整することで
有形の肉体を 結果的に 「癒やす」

これが、日之本元極の功法の施術になる。
身体の不調は、無形の肉体の方に 先行して症状が出る。

私が、受講生などの 身体の悪いと思う所を 
ご本人に指摘したりしても 
症状が(有形の肉体よりも)先行しているのだから

本人には気が付かないことが多いし、
医学的な検査でも 分からないことが圧倒的に多い。

身体の様子が 分かっても 十分に活かされないことが
仕方がないとはいえ  もどかしくもある。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

自閉症

心身共鳴神法を受けて4ヶ月が過ぎた頃。

今まで以上に偏食が酷くなりました。
「これくらい食べてよ~」ってものまで
見るといや~~~な顔をして

「食べたくない、まずそう」と。

「お腹ぺっこぺこ!」と言っていたのに
私が出した食事を見ると
「お腹いっぱい!」と、逃げる。

むかーっときて、無理やり食べさせると

「ひゃー」と、苦しそうに泣きわめく。
これはちょっと尋常じゃない。
息子はすごく不快そう。

多分、息子は「味覚」と「食感」が普通の人と違うのでしょう。
それがこの時、好転反応によって
より酷くなっていたのでしょう...。

そしてきっと「視覚」も違ったのでしょうね。
だって、ご飯を「見る」なり不快な顔をするのですから。

そんな好転反応がしばらく続いた後、
ビックリするくらいに色々食べるようになりました。

私は毎日「今日はこれを食べさせてみようかな?」と
少しずつ新しい食材に、メニューに挑戦してみました。
料理本も買いました。
まるで新妻サンです。

息子は相変わらず野菜は嫌いましたが
マヨネーズで和えたり、フライにしたりすれば
食べるようになりました。

まだまだ嫌いなものがたくさんありましたが
パパもビックリするくらいに
色んなものを食べるようになりました。

偏食に勝った!

そう思いました。

が。

2ヶ月後、何かの拍子に
またまた「偏食王子」に戻ってしまったのです。

しばらく偏食が続き、また徐々に食べるようになって行く...。

この繰り返しでした。

何度も同じ所をぐるぐる回っている様な感じでした。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 なら

自閉症

日之本元極に息子を連れて
初めて来たのは、息子が3歳の時でした。

当時は偏食よりも言葉が伸びないので困っていましたし
偏食を「ただの好き嫌い」だと思い込んでいた私は
カメ仙人先生にもこの事を伝えませんでした。

意外と偏食気味の子が周りにたくさんいて
「白米しか食べない」とか
「野菜は食べた事がない」とか
息子の「仲間」がいっぱいいたので
それほど珍しい事だと思っていませんでした。

(でも、よくよく皆の話を聞くと
息子の「好き嫌い」はちょっと酷過ぎるとは思いましたが)

日之本元極で治療を初めてしばらく経って
発達障碍の本とかHPとか見ていて

「あ~...息子も『ひどい偏食』ってやつかあ~」と

ようやく気が付いたのでした。

カメ仙人先生やbabatanuki先生は
「気功治療を受けていれば、偏食で健康を害する事はありませんよ。
食べたいものを食べさせたらいいですよ」
と、おっしゃったので、レトルトや外食に罪悪感はなくなりましたが
やっぱり母親として「おふくろの味」を知って欲しい気持ちは消えませんでした。

気功治療を初めて言葉や興味はすぐに変わっていましたが
偏食に変化が出始めたのは4ヶ月を過ぎた頃からでした。

それから1年ちょっとの間
私は「偏食」と取っ組み合いの戦いを続けました。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 矢田寺

自閉症

2歳を過ぎると偏食はどんどん酷くなりました。

ご飯に何かを混ぜると食べませんでしたので
チャーハンや炊き込みご飯はダメ。

野菜炒めみたいなものもダメ。

みそ汁もダメ。

うどんやラーメンは好きでしたが、具を入れるとダメ。

カレーライスやハンバーグが好きだったので
野菜をたっぷり入れて食べさせていました。
でも段々、カレーに色々具が入っていると
嫌がって食べなくなりました。
ハンバーグもちょっとでも形がいびつだったり
お豆腐を入れたりして柔らかくなると
全く食べてくれなくなりました。

一時期、野菜ポタージュを作ると喜んで食べたので
色んな野菜で作っては飲ませていました。
ご飯にかけたりして、大喜びで食べていたのですが
それもある日突然、嫌がるようになりました。

2歳後半になるともうお手上げでした。
無理やり食べさせたことは数え切れず。
でも、食べないのです。
食事を出すとイヤそうな顔をするのです。

レトルト食品とか、お弁当とか
ふりかけご飯とか、冷凍食品とか
そんなのばかり食べさせていました。

外食やレトルト食品は比較的良く食べるので
同じメニューを家で似せて作るのですが
何故か私が作るものは食べませんでした。

おばあちゃんに預けると、不思議と魚でも何でも食べていました。
でも、私も一緒にいると例えおばあちゃんのご飯でも
息子は家にいる時のように、食べませんでした。

とうとう、私が作ったものを息子の目の前に出す時
私は動悸がするようになりました。

食事の支度の事を考えるだけで憂鬱な毎日でした。

私は料理がそこまで(子供が嫌がる程)下手ではないと思います。
どうして我が子から自分の手料理をここまで拒否されるのか?

偏食以外にも問題が盛りだくさんだった子なので
3歳近くになると

「一体この子はどこまで私を苦しめるのだろう?」

そんな思いが沸いてきて
1日1日が本当に辛くて辛くて
これからどうなっちゃうのだろう?と
不安な毎日を送っていました。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 寺

自閉症

離乳食は何でも良く食べて順調でしたが
いきなり1歳半を過ぎた頃に
それまで喜んで食べていたものを 殆ど拒否するようになりました。

野菜中心のあっさりとした和食が大好きだった息子が
お芋も 青菜のお浸しも おみそ汁も お魚も 
全く食べなくなりました。

洋風のカレーライスやウィンナー
シチューに焼きそば、ラーメン...ラーメン

当時チラホラと聞くようになった

「食育」

とは、かけ離れたメニューを好むようになりました。

「好みが出てきたんだなあ~ 味覚が完成されたのかな?」
「やっぱり子供はジャンクな味が好きなんだなー」

そんな感じで、それ程不思議に思わなかったのですが

そう言えば「おいししょう~」とか言ってるのに
全くその食事に手をつけないって事もありました。
(今思えば変ですね)

突然「好き嫌い」が始まったので
色々な所で相談しましたが
当時私が体調が悪くて、息子を預けがちだったので

「息子くんはお母さんの変化に敏感になっているのでしょう」

...と、私のせいにされたのでしたー...。

これが自閉傾向の「偏食」 ナイフとフォーク とは思わずに
私自身も結構好き嫌いがあったので
「似ちゃったな~」と、のん気に構えていました。

「偏食物語」の始まりとは知らずに...。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 なら

寝言・戯言

「癒やし系」とか
「癒し」とか

世の中に 言葉があふれるようになった
自分のために 時間を過ごしたい。

私を癒やしたい。
私を癒やすために 「おひとりさま文化」も誕生した。

それで、本当に 癒やされるのだろうか?

私は思うんです。

自分のために 時間を使って ロクな事はないって
断言します。
もちろん、私の体験です。

おいしい物を 食べれば 食べ過ぎるし
お酒も楽しいけれど ついつい飲み過ぎるし

買い物でストレスをはらすと お金もなくなるけれど
それ以上に むなしいし、片付けも増えるし、 ゴミも増える。
結局忙しくなる。

だから
自分を癒やすために 生きるより
誰かのために 時間を使った方が 楽しいし、なんだか嬉しい

「癒やしてくれない。」と文句を言うより
誰かのために 生きることが出来たら いいんじゃないのかな?

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

自閉症

前回の記事のように、傍から見ると

「こだわり?」

と、焦るくらい、ひたすら
同じ事を繰り返しては「ある時」が来たら止む。

そんな事が繰り返されてきました。

同じ事ばかりやられると、親として
「他に興味を逸らせた方が...」と思い

家の中で何やらやり続ける息子に
「公園に行こう!買い物に行こう」と誘っても

「イヤー」と、言う事を聞かなかったし
無理やり連れ出しても 良い結果は得られませんでした。

同じ事をやり続ける息子を見ていると
身体が、脳が その行為を欲しているように見えてきました。

何故なら、前の記事に書いたように
公園で難しい遊具にこだわり続けた後は
とっても運動神経が伸びた訳だし。

工作をやり続けた後は
手先が器用になった訳だし。

普通は色んな事をバランスよく経験しながら
バランス良く発達していくのでしょうが

凹凸があり、早く同年と追いつかなければならない息子には
こうした「一点集中型」の訓練が 効率が良いのだと思います。

私は息子の発達が 定型から逸れてしまってから
色んな本を読んだりして、一般的な子育てや早期教育

発達を促す療育方法などを ざっと一通り知識として得ました。
でも、息子に実践しているのは何もありません。

正直言って、気功の修練や日常生活に追われて
療育らしい事をしてあげる余裕がないのです。

それがずっと気がかりというか、負い目に感じていました。

でも、どうやら息子は
自分でその時々に応じたピッタリの療育メニューを
自分でちゃんと分かっていて、習得するまで遊びながら訓練しているようなのです。

こんな事まで可能なんて、元極気功って本当にすごいです。

今日も息子は幼稚園から帰るなり「療育」に励んでいます。


不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 仁王


自閉症

【 その 4 】

日之本元極で治療を始めてから
息子は良くなりながらも

「何で…これをし続けるの? 新しいこだわり?」

...と、考え込むような行為を繰り返してきました。

印象深い例を順番に挙げて行きますと...

4.外で遊ぶのを嫌がり、ひたすら家の中で工作をする。

新聞のチラシや折り紙などで、
工作に熱中している時期がありました。

家がとっても散らかりましたが、付き合うのも、見ているのも
なかなか楽しい遊びでしたので、ストレスなく、見守れました。

セロテープやのり、ハサミの使い方を覚えました。

つづく

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 水

自閉症

【 その3 】

息子の変化の

印象深い例を順番に挙げて行きますと...

3.公園にばかり 行きたがる。

とにかく「公園に行こう!」という時期がありました。
外で色んな遊具で遊びたいと、遊具の充実した公園に行きたがりました。

もともと公園は好きでしたが、滑り台しか興味がありませんでした。
それが、いろんな遊具に挑戦し出したのです。

困った事に、挑戦するのはいいのですが、
出来ないので(怖いのと、技術も未熟だった)
諦めればいのですが、
どうしてもやり遂げると言い張り、大声で泣きながらやるのです。

「泣くなら止めなさい」と、どんなに止めても聞きません。
傍から見れば「無理やり親がやらせている」様に見えたでしょう。

この時期、とても運動神経が伸び、三輪車さえ乗れなかったのに
ペダルを漕ぐ事を覚えて、補助輪付きの自転車に乗れるようになりました。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 五重塔

自閉症

【 その2 】

日之本元極で治療を始めてから
息子は良くなりながらも

「何で…これをし続けるの? 新しいこだわり?」

...と、考え込むような行為を繰り返してきました。

印象深い例を順番に挙げて行きますと...

2.人と関わりたがる。

人には全く興味がありませんでした。
母親でさえ、数日いなくても(病気で入院した事があります)平気でした。

知らない人から近寄られると逃げまくっていました。
そんな息子が急にお友達と関わりたがるようになりました。

幼稚園でも知ってる子ならニコニコしながら近寄って行き
不器用ながらも一緒に遊ぼうと必死でした。

まるで、それまで人と関わらなかった時期を埋めるかのように
これまた見ている私が「大丈夫かな?」と、痛々しくなるくらいに

避けられようが、引かれようが(とても積極的だったので)
一生懸命にお友達と遊びました。

これは数カ月で終わり、今度は人との関わり方が上達したものの、
積極さや「関わりたいと思う気持ち」が一気に減退してしまいました。

様々な経過を辿り、現在でも息子の一番の課題となっています。

つづく

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 奈良県