ブログ

神の元で 修業をする
それは、それは

とても大切 だけれど

神様は
いつも言われるのです。

あなたの 「心を観ています。」
あなたの 「心のありようを 観ています。」 と

何をするのか ということも 大事だけれど
何を しようと 思っているのか

こころの中が 大事なんだと 思っています。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極


ブログ

食堂に入って ラーメンを食べた。

ふと、隣で 子供が食べている姿に目をやると

「はし」の持ち方が めちゃめちゃだった。

お母さんに目をやると お母さんは、輪をかけたように

持ち方がおかしい。「にぎりばし」

母親が、あんな持ち方だから、「子供が持てないんだ!」と

ため息が もれる。

けれど、

私は、親から箸の持ち方を 教えてもらった 記憶がない。

たぶん、多くの昔の子供達は

教えられずに、「まねて 学んだ」のだと思う。

見ている間に 見よう見まねで 伝えられていく 日常の生活動作、

文化や日常の生活動作 は、教えるもの ではなくて

自然に身につくもの だろうと 思う。

教えても 教えても 「箸の持ち方」 は 

一向に 正しく身につかない

いつの間にか 消えてしまいそうな 「文化」 となりはてた。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室  りゅう

ブログ

神社の中に 土俵があった。

ごくごく あたりまえに

ごくごく 自然に 備わっていた

この土俵で 子供達が すもうをとっていたのだろうか

神の前で 相撲をとる  子ども

輝く笑顔 が まぶしいだろうな と思う。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 すもう

日之本元極気功

日之本元極には、忘れ物が 時々ある
それは 「杖」

杖をついて ようやく歩いて 来られた
ご婦人が 貫頂を受けてから

すたすたと 歩いて帰って行かれる

貫頂を受けられて 身体の様子は
「どうでしたか?」 と伺っても

「な~んにも 変わりません。」
「少しも 分かりません。」

と 答えられる方が 圧倒的に多いのだけれど

身体の方は

ちゃんと、変化が でている。

波動が細かい 気のエネルギーは
受けた後も

何も 分からないし 変わらない    
そんな 感覚しかない のだけれど

身体の方は、ちゃんと ちゃんと
変化しているようです

「杖」 の忘れ物

日之本元極気功教室では
めずらしくない  忘れ物です

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 出羽三山

神様の言葉

縁と ゆかり に導かれて
出羽三山を 訪れた。

その時に
神様が、おっしゃいました。

「足を まずは きれいに洗ってから 私の山へ 登ってきなさい。 」 と

湯殿山は、湯のわき出る山、そのものがご神体だそうです。
その、ご神体でもある 山に 素足で登ります。

その声の 意味が分からぬまま 
靴下を脱いで道を 進んでいくと

まさに、
足をあらう 池は 出口のところにあったんです。

「神の宿る山に 登ったあとに 足を洗う 手はず 」 になっている。

それで、わざわざ、

「足を先に洗いなさい。」と

言われた訳なんですね。

我々は、出口を逆に廻って 

足を きれいにしてから ご神体の 山に登った。

湯の噴き出す山は 怒っているパンチ! かのように

すこーし、熱かった。ドンッ

いつの間にか 

人は 時の流れの中で

人の都合で 神様の祭り方を 変えてしまったようです。

いったい、神様は、どんな風に人を 導いておられるのかしらはてなマーク

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室  出羽三山

ブログ

用事があって、仙台へ行った。
ちょうど、七夕祭り

通りは、所狭しと 七夕飾りがひしめいて
とっても きれいだった。

工夫された 飾りの数々は
精魂込められて とっても 立派だった。

人々の熱気で
久々に 気持ちがうきうきと にぎわしくなった。

商店が 建ち並び
浴衣姿の 若者の姿は 活気があった。
けれど

織り姫と 彦星への 祈りはいずこへ
きっと、古来は

夏のまばゆい太陽に 別れを 告げる
静かな 静かな お祭りだったのだろうと

思いを 馳せてみた

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室  仙台七夕

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室  仙台

日之本元極気功

いつでも どこでも どんなときでも
12字真言を 唱えていると
天地の エネルギーが、届きます。

いつでも、どこでも

ご飯を作るときも
お風呂で 身体を洗うときにも
歩くときにも
買い物をするときにも 12字真言を唱えてください。

と 講座でも お話します。

ふと、私は唱えているのだろうか? と

自問自答したのです。

あらためて、思い返すと
唱えているようで
唱えていないような

けれど、いつも いつも 唱えているような
耳元で いつも聞こえているような

身体の中で いつも 響いているような
なんだか 不思議な 唱え方をしています。

いつも いつも 12字真言は
私の すぐとなりに、 
私のすぐ横に居座るように
ちゃんと、 見守ってくださっているような

そんな 感じが しました。
知らない間に いつも 唱えているような 感じです。

いつも いつも 私を見守ってくださって
ありがとう御座います。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 かご

日之本元極気功

9月の秋分講座に 位山に登る

往復3時間程度の ハイキング程度の行程なので
あまり負担ではないのだけれど

それでも 登り道は 結構辛い

普段、あまり運動することがないので
きっと、
「明日は筋肉痛だろうな~~」 と 
思っているのだけれど

思いの外 
翌日も 翌々日も その後日も

筋肉痛にはならず
身体はすっきりと 快適な 爽快感で

位山登山が 辛いと思ったことがない
もう、5~6年ほども 毎年登っているけれど

毎回、位山の神々との出会いを 楽しみにしている。
エネルギーを頂きながらの 位山登山

どなたでも参加できます。

ご一緒にいかがですか?

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 下鴨神社

ブログ

私の母親は 大阪に住んでいます。
60歳から 90歳まで

一人で 暮らしてきました。
一人暮らしの時の 口癖は

「ひとりは いいわ ラブラブ
「気楽で 誰にも気兼ねせんでも ええし 」
「一人で 暮らせる 今が 一番しあわせ 音譜

でした。

ところが、昨年 姉の家族と 同居してからは

「ひとりで ご飯は 食べられへんねん 」
「何でか いうたら… さびしいから 」
「誰かが いっつも おってくれたら 安心やわ 」
「やっぱり ひとりは さびしいビックリマークな 」

が口癖になりました。

人は、人と 一緒に関わって暮らすから
嫌なことも 楽しいことも あるのでしょうね。


自分の気持ちを 遠慮しないで話せるようになった、 
母親は とってもしあわせそうです。

ブログ

私には、三つ違いの姉がいる。

それほど、仲がいいとも言えず、
もちろん悪くも ないけど

もう、40年ほども
遠く離れて住んでいるので
出会うことも少ない

先日、仕事で大阪に行ったときに
姉を訪ねた。

すると、私の着ている服を見るなり 一言

「その服!私も持ってるわビックリマーク」 だった。
全く同じ服を 買って着ている。
と 驚いていた

それだけではなく

全く同じ 靴を 同じ時に 
「偶然」 はいていたことも あったし。

同い年の いとこ同士の娘達が
同じスカートを
はいていたこともあった。

また、昨日は
偶然、たまたま おなじく山形を訪れた

実に 偶然が重なって起きる

血は 争えないと いうことだろうか