京都の 下鴨神社に 呼ばれて出かけた。
きれいな円錐状に 高く大きく 摘まれた
「砂の山」があった。
よくよく みると
この砂が 何カ所か
人の手によって 削られて 壊されている
これほど きれいに砂を 積み上げた人のこころ と
きれいなものを 壊してしまう 人の こころ を
ふと 思い返して 悲しくなった。
「全ての人は 救えない。」
増田先生が「さとりの講座」で言われた言葉が
頭の中で 響き渡って 繰り返された
気功教室で講師をしています。中国元極功法800年の伝統を受け継いだ功法です。
世の中に KY(空気が読めない)という言葉が
なぜ、こうも 流行ったのか?
と ふと 考えた。
世の中の 雑誌に載っている 子供達の
かわいい 写真を見ていると
ふと、気がつくことがある
この子も あの子も 多少なりとも 発達障害
働いていない脳細胞の一部分 を感じることが
多々ある
言語も豊かで こだわりもなく 笑顔いっぱいの
すくすく成長している 子供達の
脳の働きを 感じてみると
ふと、働いていない細胞を 発見してしまう。
これらの現象は、今始まったことではなく
もう、随分昔から おきていることなんだろうな。
原因も 体質や 遺伝 環境などなど
特定はできないだろう
けれど
KY(空気が読めない)という言葉が
流行するほど 世の中に
人の気持ちを おしはかる ことが出来ない
若者達が 増えている。
若者だけではなく 高年齢でも 増えているのだろう。
「人の気持ちが分からない 」
「人の気持ちを 想像して 考えられない 」
不自由な 子供達が 今後も増えていくことは
確かな 現実だと 思った。
日之本元極の気功法は
神様が 応援してくださっている 功法なので
一生懸命に 努力したり
人のために 生きようとする人の
修練を 手助けして下さる
その人の生き方が
清らかな精神だったり
人に 尽くそうとしていたら
修練に
励むような 条件が 「偶然」 与えられる
この背中を押してくれる「偶然」 を
活かすことが出来るか どうか?
試されることがある。
大切な役割が 与えられる人かどうかを
試される事が たくさん たくさん ある。
神は、いつも人に 試練を与えて
困ったときに どう行動するかを
確かめて 確かめて
「試みに 会わせる」
頑張って 食いしばって 修練をすると 「道」が開かれる
不思議な不思議な 気功法なのです。
熱心な 修練者のAさん
いつもどこか 痛くて 体調が なぜだか悪い
講座も受けて 修練もし、そこそこに 努力しているのに
いつもいつも どこかが不調だ
いつも どうしてだろう
と
Aさんの 身体の様子を 観
てみると
どうも 本人の症状ではないことが 判る
ある時は、ご主人の 頭痛 
ある時は、お子さんの腹痛 
ある時は お母さんの 身体の症状 
などなど、 家族の身体に繋がって 症状が出てくる
ご本人は、ほぼ 健康体なのに
いつも 体調が 悪いから
ある時。
増田先生がおっしゃった。
「家族と繋がっている いと (糸・意図) を切ってしまえば、
症状が出ないから、切ってあげましょうか
」
と
「いえいえ、いと(意図・糸)は太いままで 残しておいてください。」
「私は、またここに来て 助けていただきますから 大丈夫です
」
と ご本人
こうして、家族の「いと」 を背負って、修練していらっしゃる方が
他にも たくさんおられます。
自分の役割をしっかりと果たすことで、
自分が修練をすることで
家族が 助けられるのならば
「私が 家族を背負って 歩きます」
そんな、決意の声を 今日も聞きました。
優しさは 「強さ」です。
強くなければ、人助けは出来ません。
私も 強く、強く 頑丈
に
生きていこうと 思います。
神様に呼ばれて 暑い盛りの 京都に出かけた
下鴨神社では
暑さや 邪気を 祓う神事「みたらし祭り」 が行われていた
この日ばかりは、神聖なる池に
誰もが入れて、誰もが 神聖なる池の御利益を受けて
邪気が 祓えるという 「みたらし」祭り が行われていた
数多くの屋台が 並び
珍しいものも たくさんあった。
「みたらしだんご」が鳥居の前に 店を出していたので
買って食べたけれど
高山の 醤油の味わいの方が 懐かしく感じた
境内の 小川に多くの子供達が ずぶ濡れになって遊んでいた
たぶん、これが 本来の神社の姿
神の 元に集まって
神の 加護の元で 遊ぶ
何となく楽しくて 喜びを 分かち合う
これが、神社の本来の姿なのだと思う
何時だったか、神社の境内で お弁当を拡げたら
警備員さんに 叱られた
ルールを守らない 大人が増えてきたので
致し方のない ことなのだろうが、寂しい現実だった。
下鴨神社で
子供達が 水しぶきを上げて 遊ぶ姿は
いとも すがすがしく 邪気が払えた ひとときだった。
私の母は 91歳
ぼけてはいるものの 元気で生活している。
「みんなで食べるご飯は おいしいな。」 と言うのが
口癖で、デイサービスに出かけるのを 何より楽しみにしている。
そんな 母は、90歳まで35年間
一人暮らしをしてきた。
足が痛くなって、歩けなくても
ガスの火を 消し忘れても
「ひとりで いいねん。」
「ひとりが きらく やねん。」
「ひとりで 生きる ねん。」
と 強がってきた。
だから、本当に、一人で暮らしたいのかな
と みんなが 勘違いしていたけれど…
本当は、
「一人でいるのは 寂しい。
」
けれど、迷惑をかける くらいならば
ひとりで、頑張ろう。
「一人で生活することは 楽しい。」 と
思うことにしよう。
と 自分に言い聞かせて
自分の気持ちを奮い立たせてきたのだ
と わかった。
姉たち家族と
同居するようになって
「毎日が たのしいな!
」と 言って笑顔が増えた。
「まだ、誰も帰って こんのやわ
」 と 寂しそうに 本音をもらすことが増えた。
誰しも 一人暮らしが したいわけではない。
遠慮する気持ち が
本当の気持ち を 覆い隠してしまうのだろう。
たぶん、本人でさえ、「一人がよい」 と思いこんでしまっていたのだろう
今日も 母に「荷物がとどいたか
」 と電話をしたら
「荷物は、みんなが帰ってきてから、一緒に 開けますわ」 と
家族の帰宅を 楽しみに待っていた。
良き、家族に恵まれて 良かった