昨日まで、真冬の寒さでしたが、
今日は、一転して
真夏の暑さ
車には、クーラーをつけるほど
山岳地帯の
気象の変化は、すごいデス。
駅まえに、高山祭りの「のほり」がたちました。
iPhoneからの投稿
気功教室で講師をしています。中国元極功法800年の伝統を受け継いだ功法です。
93歳になる母親は、体に痛いところもなく
自分の足で歩けて 人のお世話にならないで 生きれることを 「幸せです」 と 喜んでいます。
ところが、毎日 「ここが痛い あっちが痛い。 」と 言うのを趣味のようにしています。 今日も 「首が痛い」 と言います。
それで、 「どうして痛いのか?」 と 聞くと
「布団の中で 寝ていて 捻った」 と言います。
そして、時間がたって 明日になったら 痛かったのを 忘れています。
きっと…
先日も 布団の上で転んだので、腕が痛む と言うのです。
それで、翌日 湿布を持って行ったら
「あぁ あれは 治った。 けど … 今度は背中が痛い。」 と 言います。
まあ、痛くても元気に 歩いて 食べて 修練をして 毎日を過ごしています。
布団の上に転んだのは 難を転じて
小難にしてくださった 神様のおかげですね。
修練を頑張らないと
祝詞もね
93歳になる母親は、体に痛いところもなく
自分の足で歩けて 人のお世話にならないで 生きれることを 「幸せです」 と 喜んでいます。
ところが、毎日 「ここが痛い あっちが痛い。 」と 言うのを趣味のようにしています。 今日も 「首が痛い」 と言います。
それで、 「どうして痛いのか?」 と 聞くと
「布団の中で 寝ていて 捻った」 と言います。
そして、時間がたって 明日になったら 痛かったのを 忘れています。
きっと…
先日も 布団の上で転んだので、腕が痛む と言うのです。
それで、翌日 湿布を持って行ったら
「あぁ あれは 治った。 けど … 今度は背中が痛い。」 と 言います。
まあ、痛くても元気に 歩いて 食べて 修練をして 毎日を過ごしています。
布団の上に転んだのは 難を転じて
小難にしてくださった 神様のおかげですね。
修練を頑張らないと
祝詞もね
先日のこと ふと テレビを観ていたら
鬱病の 最先端医療の方法(電磁波で脳を刺激する方法)を 紹介していました。
「まさに 画期的で、副反応もないから これからが 楽しみです。」
という スタンスでの紹介に 私は疑問を感じました。
その 前の場面では 鬱病の治療薬で 幻聴や 幻想 が起こって
製薬会社や 医師に対して さまざまな 訴訟が起こっていることが
紹介されていました。
そして、鬱病の治療は これからは 薬に頼るのではなく
最新の医療によって 治したほうが よい という設定です。
考えてみれば 其の昔 鬱病を治す 夢の薬として センセーショナルに「パキシル」が 登場したのです。 何が何でも 薬を飲ませる 治療方法でした。
そして、さんざん大勢の方々に 治療薬として 使われたあげく
副作用が強いので 薬に頼らない方がよい。 と 今 変化してきたんですよ。
ということは
この 最新の 「すごい」 と言われている 治療方法(脳を電磁波で破壊する方法)も 大勢の治療データーが 蓄積されたところで いったい どんな 評価がなされるのでしょうか??
治療薬「パキシル」と 同じ運命をたどることには ならない。と 断言できるのでしょうか?
人の体の 治療です
もっと、慎重に 治療を 進めていただきたいモノだし
新しければ すばらしいと 思いこませる マスコミの姿勢も
どうかなと 思いました。
テレビ で 紹介されることは 真実だと 思いこんでしまう 習慣を
私自身も 改めなければいかないなぁ。と 考え込んでしまいました。
先日の 錬功会でのこと
あるご婦人の 錬功を担当しました。
足が痛くて 長く立っていられない
肩が痛くて 手を高く上げることもできない
手が動かないので 体を こする あんまが十分にできない
などなどの 困難を 訴えてみえました。
そこで
「大丈夫ですよ」
「無理をすることはありません。」
「できることを できるだけ やってください」
「動作は 動かしているつもりで 精一杯伸ばしていただければいいですよ。」
と 伝えました。
しかし
よ~~く 観察していると 修練中の
黙念が…
黙念の 響きが 感じられない 私に伝わってこないのです。
「黙念を大切にしてくださいね。」 と念を押してお話をしましたが、
それでもやはり 響きが感じられませんでした。
そこで
私も 声を出して 声念をしながら ご一緒に修練をしてみました。
すると、表情が みるみる 変わってきました。
先ほどよりも 充実した エネルギーに満ちた修練になりました。
顔色も 良い感じがします。
12字真言は、唱えることが何より大切です。
黙念は 声念よりも 効果が高いのですが ついつい唱え忘れてしまいます。
雑念が わいてきて 黙念しているようで していないこともあります。
声を出して 声念をしながら 修練をすることも 時にはやってみましょう。
意外に、修練中に 黙念できていないことに 気がつきますよ。
ぜひとも お試しください。