ある日、ちょっとしたミスが 外部との関係で起きました。
担当者は、何度も丁寧に 大変丁寧に
「私どもの 不手際がありまして 申し訳ありません。」等など
きれいな言葉で 謝りました。 ※決して私の不手際とは言いません
私は「ぜんぜん、謝る気持ちなんかないんだなぁ~」 と感じたので
もう一押しして、苦情を伝えてみました。
すると またもや同じ言葉を繰り返して謝ります。
空々しくてむなしい 言葉の連呼を聞いているだけで疲れました。
「慇懃無礼」とは、まさにこの言い回し方 なのだと思いました。
きれいな言葉の裏には 取り繕った
表面的な「おわび」がありました。
「心から謝ってなんかいません。
自分が悪いとは さらさら思っていないのです」
そういう
人の気持ちを 推し量って直感しているうちに
言葉の丁寧さや 表現に 惑わされなくなった
私自身に気がつきました。
乱暴な言葉の 中にある
真実の気持ちにも いつの間にか耳を傾けているのです。
真実を見抜く力 → 修練のおかげですね。