日之本元極修練, 気のエネルギー

先日のこと 本宮修練舎に、
10年ぶりぐらいに 貫頂を受けに来てくださった

高校生の修練者がいます。

本宮修練舎の 錬功会に参加している
当時と変わらぬ修練者の 様子を見て

こんな印象を 持ってくださったそうです。

「Sさんも Mさんも 私が小さかった時に
出会った時よりも 

「もっと きれいになった😃」 と

10年一昔といいますけれど、10年の年月を経れば
ヒトは、例外なく老いて 
「きれい!」とはいえないような状態に

誰しもがなってしまう はず! ですが

幼い時の印象よりも
「もっと きれいになった!」ということは
Sさんや Mさんの  
修練を継続している たゆまぬ努力が

実を結んだということでしょう。

「元気・元光・元音」(三元エネルギー)の成果によって
光り輝くような 修練者の姿が 
「前よりも もっときれい!になった」
という印象を 鋭い「直感力」によって
受け取ってくださったのでしょう。

 

ところで、
私は、やっぱり老化したように 見えたのかな?
仕方ないけれど…… 😅

 

12字真言修練, 元極功法

先日のこと
録音教材「智恵の脳天法起術」を使って

帯功をしました。

「自律神経失調証」と診断されている方でした。
帯功が あと5分で終わろうとした時に
過呼吸発作が起きて、とても苦しそうでした
手の指もCO2が過多になって しびれが出ているようで

指先も変形し始めた時に

収功の時が来たので、いつも通りに下丹田に納めてもらいました。
「収功します。」と私が発声した時に、

過呼吸の発作はすべて治まり、静かで深い呼吸に変わりました。

「自律神経失調症」と診断されていても
帯功を静かに受けて、

安静にしているときに過呼吸発作が起きても

「収功します。」の一言で、発作が治まるのですから

元極功法は、素晴らしい功法だと思います。

たとえ、病院では治らないと診断された「病」でも
修練を懸命にすれば、一生懸命さに応えて

結果が届くのだと思います。

自律神経が勝手に働いて 
夜中でも交感神経が 優位に働いて
ドキドキする事があっても
12字真言を唱えて 修練をするならば

回復する可能性が あることが分かりました。

修練をしましょう。
少々、無理をして、懸命に努力してみましょう。

きっと、結果が届きます。

頑張りましょうね。

気絶神倉法修練, 増田先生, 邪気

修練者のYさんから、高齢のお父様の変化について

お便りをいただきましたので、ご紹介します。

***************

実家の両親は、高齢ながら夫婦二人で

助け合って、元気に生活しています。

特に、父親は90歳を超えても 視力も良くて
頑固ながら気力もあり、車の運転を続けています。
大きな事故は 今のところないのですが、
交通事故のことが、心配で仕方が無いので
「運転を止めるように」と説得をしても

絶対に止めようとしません。

そこで、何かよい方法はないものかと思い

増田先生にご相談をしたところ

家の場を良くする「場作りセット」を設置することと
「気絶神倉法」を実施して、頑固な心をほぐしてみてはどうでしょう?

と ご提案くださいました。

これまでにも、増田先生から、
ご提案いただいたことを 信じてその通りに実施してみると
思った通りの 良い結果となったことが多々ありましたので
すぐに「場創リセット」の設置をして

「気絶神倉法」を父親にお願いしたのです。

ところが、父親の頑固さもたいしたモノで
すぐには 運転を止めるようにはならず

しばらくは、もやもやと我慢の日々が続きました。

施術開始から 一ヶ月ほどたった 先日のこと

びっくりするような 出来事が起きたのです。

40年ほどもの間、想い出のカケラ(衣類や趣味のものなど)を
大事に大事に仕舞いこんで 何一つ処分できなくて
物置と化して ゴミ置き場のようになっていた部屋を 

父親がきれいにかたづけてくれたのです。

おまけに、ホコリがたまり、汚れがたまりに溜まっていた
部屋の隅々まで きれいに掃除されています。
窓ガラスも きれいに磨いて、カーテンまでも!
新しいモノに変えてありました。
(ちょっと趣味は違うのですけれど……<(_ _)>)
これまでにも、何度も何度も 処分したいと伝えたにもかかわらず
頑固な気持ちは、かたくなに動かなかったのです。
「生きているうちは無理無理!」と諦めていたのです。

本当に、びっくりしました。不思議で 不思議で仕方がありません。

増田先生が、おっしゃっていた「心をほぐす施術」(気絶神倉法)は
古いモノへの執着を捨てるために「心」をほぐす 

長年の垢を捨て去るように「心」をほぐす 施術だったと納得しました。

日之本元極の功法は
人の身体が、変化して元気になっていく功法だということは
私自身の体験として 身をもって体感していることですが
人の「心」も変えることができる功法なんだ 
ということも分かりました。
今日も 階ヒト動功「めぐりみ・めぐりき」の修練をしたところ
途中で、身体がド~ンと重たくなって
「もう止めたい」「早く終わりたい」という
気持ちに捕らわれたのですが、
修練が終わってみると スッキリと爽快 さわやかな気分になります。
その結果 何に対しても「頑張ろう」という 

前向きなやる気が出てきます。

本当に 不思議な変化が 私にも家族にも起きています。
理解できないことだらけですが、
これからも 修練を続けていこうと思っています。

 

ブログ修練

毎月1回、定期的に打ち合わせをしている方がいます。
仕事を手伝ってくださっている Mさんです。
するどい観察力のMさんは、

1ヶ月ぶりに出会った先日のこと

「あれ?なんだか 変わりましたよね?」
「どうしたんですか?」と質問が飛びました。
私はすかさず、
「きれいになったでしょ!」と 同意を求めたのですが
彼は、笑うばかりで、その話題には触れずに

「どうしたんですか?」と同じ質問を繰り返したので

「いいことがあったの!」と冗談を言って済ませました。
この時、私には最悪な出来事が起きたばかりだったので

気晴らしのために ちょっと きれいに!していたのです。

化粧をしてみたり、服装を気にかけてみたり。
輝くことで、この危機を乗り越えようとしていたのです。
辛い時ほど、どうしようもない出来事が起きた時ほど
元気を出して頑張って、気晴らしによって輝いてみよう。

と考えてのことです。

悲しいので泣いてもみましたが、泣いても気持ちは晴れません。
愚痴を言っても腹立たしいだけです。
沈んだり、落ち込んでいる暇は、ありません。
不満や文句が次々に湧き出てくるタイプなので、内観療法も私には適していました。
内観療法は、日本で発達した数少ない精神療法です。
私は、社会人一年生の時に、上司からはじめての研修場所として
奈良県の「内観道場」に行ったったことがあります。

自分が「~にしてもらったこと」について、見つめて思い出す方法です。

内観療法は http://www.synapse.ne.jp/~sein/T/T80.htm より一部抜粋

(1) 「してもらったこと」について内観をすると今まで自分一人の力で生きてきたつもりでいても、いかに多くの事をしてもらっていたかに気づかされる。それは内観者の対人関係において、大切に育てられ支えられてきた愛情体験の発見につながり、改めて自己の尊厳さを見出し、自己肯定感が得られる。しかし一方では他者にしてもらうことばかりの連続であったことに気づき、自己の依存性の強さや未熟さを自己像として認識させられる。こうして他者中心の知覚の仕方で見ていくと他者像の認知も大きく変化して、他者を共感的・肯定的に受け入れることができるようになる。その時、他者に対して感謝と償いの気持ちを抱かせるまでにいたる。

そして、やっぱり 修練です
我々、修練者は、いつでもどんなときでも
修練をして乗り越えるのが基本ですね。
「遊 歩 功」

物事をすっかり忘れて、サラにして再出発する時には最適です。

元極功法に携わっておられる神々様も応援してくださるので
忘れることに、拍車がかかります。エネルギーによって

元気になりつつ、気持ちを立て直すことが出来ます。

日本人は基本に「何でもかんでも水に流す精神」を持っていますから

邪気を吐き出して、新しく再生してやり直すことができます。

有名な女優の自殺によって 
世の中は「可哀想」「どうして?」の連鎖ですが

どんな状況にあっても 自分を励まして生きるしか道はありません。

死の淵にありながらも 恐怖を感じるのでは無く
無心で修練を続けておられた方々に 思いをはせて
自分の意識を立て直して、新たな気持ちで頑張ります。

マイナス思考からは、マイナスの出来事しか起こりえません

ただいま、気持ちを奮い起こしています。

 

静功修練, 日之本元極

若い修練者が、熱心に修練をしている姿は

実に 美しいものです。

真剣さが 念訣の響きに良い影響をもたらして

身体の中から 心の底から 念訣が聞こえてきます。

姿勢も 念訣がうまく出来るときには 
全身から力も抜けて 改善しています。
「この調子で修練をすれば、メキメキ上達しますよね!」 と

増田先生にお話しをすると

もう何年も 経っているじゃないか!
すでに、階ミの修練者なんだから
これまで いったい 何をしていたんだ!
こんなに いい修練が出来るんだったら

どうして、早くからやらなかったんだ!

と 厳しい檄が 飛びました。

褒められるばかり でも
叱られるばかり でも
ゆったり のんびり しているだけでも

上達はしません。

自己に厳しく 自分を律して

自分の欲を コントロールできるかどうか?

まさに 今 
生き方が変わってきて 
修練の時が 訪れたのだと思います。
このチャンスを しっかりと掴んで

素敵な人生の選択の時 を 充実させて欲しいと思っています。 

それにしても 生き方を変える

「静功」の修練は 素晴らしいモノだと 思いました。

 

 

 

 

 

 

 

静功修練, 飛騨高山

階ミを受講している若い修練者が、高山に滞在して
毎日、修練舎に通っていました。
熱心に修練をする姿に、私の悪い癖(おせっかい)が始まりました。
竅穴を内視して その様子を観て
それを励みに どんどん 静功をして

次々に進度をすすめて 上達して欲しいと願ったのです。

修練のペースは、自分で創るのが基本です。

ですから 指示されたり、他人が目標を決めたりするのは御法度です。

それでも、毎日の修練の様子は それはそれは 熱心で真剣でしたから
竅穴のエネルギーは、眼を見張る勢いで 充足していたのです。

下丹田の充足を得て、次は2次元 尾呂関の竅穴の修練です。

それもスルスルと 充足したので
「3次元に進みましょうか?」と 私が声をかけたら

増田先生から、止められました。

「すべては 自分の意思で 決意して前に進むのです」
3次元の修練は、尾呂関と下丹田の竅穴のエネルギーを動かして
任脈とトク脈を開発していく段階です。
竅穴に気のエネルギーが十分に充足していることが、
大切な条件なのです。

焦ったり、急ぎすぎてはいけません。

と ご指導を受けました。

そこで、しばらく経過を見ていましたところ

先日、若い修練者から、電話連絡がありました。

静功をきちんと、継続していたある時に
「ストン」と 気持ちが定まって、
「もう、3次元に移って大丈夫!」という気持ちになりました。
3次元の修練をしてみると 
尾呂関が、オレンジ色に輝いている様子を観ることが出来ました。

という報告をしてくれました。

「静功」の修練は、どの功法の修練よりも

充実していて 楽しいと思える修練です。

皆さんも ぜひ!

 

 

受講生との会話, 日之本元極, 無形のエネルギーの存在修練, 気のエネルギー, 飛騨高山

先日のこと、修練者の方からご質問をいただきました。
「気のエネルギー」は、他の人に瞬間的に移動する事があるのですか?
人から悪意を持って「気を取ろう」と思っていない人であっても
エネルギーが移動してしまうことが、あるのですか? と
**************
気のエネルギーは水と同じで
高い方から低い方に移動することはあります。
高い方から低い方に流れて、平均化する結果を生みます。
本人が、意図しなくても、万物の法則として移動する原則はあります。

と 私は答えました。

そう答えたものの 実感として どういう場合に
このようなエネルギーの移動が起きるのか? 

不確かさも感じていました。

そして、ある朝のことです。
早朝に、ある修練者から電話がかかってきました。
こういう場合には「救急車の中から電話しています!」という
緊急の事例もあるので、大慌てで電話に出ました。
すると 
私の体調が3ヶ月ほど前から 悪いのですけれどどうでしょうか? 
食欲がないのですが、胃腸の調子はいいですか?
頭も痛いのですけれど、観てください。

という内容でした。

一度、お目にかかりたいですね。 と

お伝えして、電話を切りました。

この瞬間に、私の気のエネルギーが ごっそりと

相手に移動した事を知りました。

私の慣習として、人から身体の事を問われると 
観ようとしなくても ついつい観てしまうのです。
疲れて、お腹がすいて、しかし食べる気力も無くて
また、寝てしまいました。

エネルギーがごっそりと抜けて 枯渇している状態でした。

また、ある方は
決まって夜が更けた頃に 電話があります。
精神的に不安定で、鬱症状のある方です。
気持ちが落ちているんです。話をしてください。
少しでいいんです。話しかけてください。

と おっしゃいます。

それで、修練を頑張ってくださいね。等など お話をしていますと
「あぁ~~いい感じです。もういいです。」「ありがとうございます」
と電話が切られます。

つまり、ここでも「エネルギー泥棒」が成立しているのです。

講座を受講したり、修練を頑張っている方へは
気のエネルギーの移動を承知しながら、
電話の対応 → 気のエネルギーの移動

を許容して黙認しているときもあります。

瞬間的な気のエネルギーの移動。
みなさんは、どんな場合に体験することがありますか?

 

12字真言, 日之本元極修練, 日之本元極, 飛騨高山

先日のこと
遠方から、講座を受講するために
高山市の本宮修練舎まで、来てくださった方がおられます。
受講のたびに 驚きながらおっしゃる言葉は 初々しくて
我々がすっかり 忘れていた事ばかりで 学びになりました。

ご紹介します。

*********
これまでの人生は、
子育てやら 家族の病気や 看病の連続で
病院通いの時間が 生活の大部分を占めていて

いつも 追われるような時間を過ごしてきました。

これまでの人生では
自分のための時間なんて 少しも無かったように思います。
講座を受講して 自分のために時間を使える「修練」は
それはそれは 幸せな時間です。
12時真言の念訣をしながら「修練」が出来るなんて

本当に夢のようです。

講座を受講して修練をしていると 毎日 驚くことばかりでした

日焼けしたように 黒かった顔色も 日ごとに色白になりました。

足が痛くて、椅子にしか座れなかったのに 
いつの間にか 座布団に座って修練が出来るようにもなりました。
歩くスピードも ずいぶん速くなりました。
*********
そういえば 
私も修練をはじめた 20年ほど前には
初々しい気持ちと😆 
驚きを持って 修練に励んでいたのだと思います。😅

 

日之本元極修練

修練をするということは
要らないモノを そぎ落とす作業を続ける ことになり
自分のための楽しみを いつの間にか手放して

生きる目的が 変化することなんだ と 気がつきました。

これまでにも 言葉では理解していたのでしょうけれど

本当に 気がついたのは つい最近です

階ヒト高級講座の 功訣は
「きみちて きのい みのい を ぬぎすてる
 つきひを こえた みよくよへ 」

というものです。

この短い功訣を聞いた 102歳の 母親が言いました。

「これは、般若心経みたいな意味かぁ~」と 聞くのです。

母親は、耳が遠くて
詳しいことは、何も聞こえないし、
理解できないことが多いのに

「般若心経か?」と 質問をするのです。

驚きました。

修練をするということは
人が、正しい道を歩くために
余分な「こと」「もの」を脱ぎ捨てて 
それでも 執着する気持ちを
脱ぎ捨てて 脱ぎ捨てて

ひたすら 歩くだけでいいんですよ。

と 悟ることなのかも知れません。

私は、まだ まだ
おいしいビールを飲みたいし
ウナギの蒲焼きも食べたいし と 

「欲」が居残っています

こういう 欲が無くなることを願って 修練することにします。
(ちょっとだけ「欲」を残しておきたいとは 思いますけど 😁)

受講生との会話, 日之本元極修練

私は、すでに20年近く 修練を続けてきました。
怠け心が出て、修練をサボることはありますが

修練をする事は 好きです。

健康になるから とか
集中力が出るから とか
継続する理由は、いろいろありますが、
修練! 特に静功は気持ちが良くて 

足さえ痛くなければ、長く続けていたいと思います。

先日の 夏至特別講座を担当していて
修練をするということは? について

ふと! 思ったこと 悟ったこと があります。

修練を継続するって事は 
捨てるモノが多くなるって事なんだ。 

と 強い衝撃を受けて 思った!のです

多くの方々が 
日之本元極の 功法の効力を高く評価しつつも

修練の継続が出来ないケースが 数多くあります。

その昔 とても敏感な修練者が、

講座を受講して おっしゃった言葉が印象的でした。

「こんなに効力のある功法は他には ありませんね。」
「皆さん、ずっと 続けておられるでしょうぅ~」と 

問われたことがあります。 私は 応えてお話ししました。

「それが…… 修練を継続できる方は少ないんですよ。」
「どうして? 修練を続けることが出来ないのか?

 継続している私には、解らないのですけれど……」

質問された感性豊かな修練者は、びっくりなさって
「えぇ~ どうしてですか?」
「私は、絶対に 続けますから!」 と発言なさったのですが

 それ以来、お目にかかることはありませんでした。

さらに お若い修練者は 

このようにおっしゃったことがありました

私、修練は少しだけ する事にします。
みんなと一緒に 焼き肉を食べに行きたいし
お酒も 楽しみたいから

少しだけ元気になれれば それでいいんです。

修練をすると 波動の悪い動物の肉などが 

食べれなくなることがあります。

修練によって自分の波動が より細かい波動に変化するので
波動の荒い動物の肉が 身体には合わなくなって、

結果的に 食べられなくなるのです

すると 職場で一緒に 焼肉を食べに行けなくなってしまいます。
お酒も いつの間にか 少々たしなむ程度に変化してしまいます。

ワイワイガヤガヤと盛り上がる飲食も 苦手になってしまうことが多いのです。

こうして、修練を継続するということは
要らないモノを そぎ落とす作業を続ける ということに繋がり

巷の中で、楽しいと評価されていることを いつの間にか手放して

捨て去る作業を する事に繋がるんだ! 
と思いつきました。
つづく