好転反応を乗り越えると
飛躍的な進歩をする場合が多いのです。
お友達と仲良く遊びだした
お風呂を嫌がらなくなった
ハサミが使えるようになった
文章で喋るようになった
などなど色々あります。
だから好転反応は「憎い」だけのものではないのです。
辛い好転反応に耐えて耐えて乗り越えた時に
まるで「ご褒美」のように、嬉しい事が起きるのです。
好転反応にも何とか慣れつつある最近は
好転反応の兆候が出てくると怖がるよりも
「わっ!今度はどんな風に変わるのかな?」と
少し嬉しくなる私なのです。
気功教室で講師をしています。中国元極功法800年の伝統を受け継いだ功法です。
エネルギーが入ると、回復しようとして身体から悪いものが出ます。
それを邪気と言います。
邪気は目に見えるもの、見えないもの色々です。
発熱や下痢、鼻水の様なものから、
癇癪や怒りの様な精神的なものまで様々です。
それを「好転反応」といいます。
ビックリするような症状が出る事がありますが
悪化して病気になったのではないので
心配する事はありません。
初めにこんな感じの説明を日之本元極で受けました。
「気功で息子が良くなるかもしれない!」
希望に満ちていた私の心はとっても「るんるん」していて
「良くなるのなら何でも来いや~」と、全然心配していませんでした。
それから2年。
何度も 何度も「好転反応」は訪れました。
何度やって来ても仲良しにはなれません...。
どんな大変な好転反応を乗り越えても
次はまた違った好転反応がやってきます。
「そう来たか!」
頭を抱えながら、乗り越えます。
「好転反応」
それは私とパパにとっては日常ヨウゴ。
そのうち息子も覚えるでしょう。
「もうダメだ~!」って泣いた事もいっぱい。
なのにどうして2年間頑張って来られたか?
それは...
「どんなに好転反応があっても止めたくない程、回復しているから」です。
赤ちゃんの時、他の赤ちゃんと比べて
「何でもかんでも口に入れちゃう」
という事が極端に少なかったのです。
「オリコウサンやなあ~」と思った自分が今は悲しい(哀)
人間は「危険なものかどうか」を学ぶためにも
赤ちゃんの頃に色々口に入れることは
大切な発達過程だそうで...。
あと、色んな触覚が刺激にもなるのかな?
刺激を求めて口に入れるのかな?
とにかく、その過程をすっ飛ばした息子は
「何でそんなものが苦手なの?」
「どうしてそんなに人と距離を置かないとダメなの?」
などなど...「生きにくさ」を残してしまいました。
(全ての原因がこれとは言い切れませんが...)
心身共鳴神法で働いていなかった脳を動かしてもらってから1年半経った頃。
「コラ!鉛筆は舐めるものじゃない!」
「オイ!紙を口に入れるな!ヤギさんみたいだぞ」
パパが息子を注意する声が響きます。
息子が突然、身の回りの物を口に入れるようになったのです。
さすがに赤ちゃんとは違って、危険なものとの区別はついているので
安全なものしか入れませんが...。
ちょっと嬉しい私は注意しません。
存分にやればいいさ~と見ています。
ただ...スーパーでおやつを買う時に
自分でレジに持っていくまでに
それを(箱ごと)口に入れるのは止めておくれよね。
「身体の発達が 遅れている」 と感じた子供達に 共通する傾向がある
「眠りが浅いこと」
おしなべて睡眠時間が少ないし、
なかなか 寝ない = 寝付きが悪い
すぐに目が覚める = ちょっとしたことで 起きてしまう
それで、いつも睡眠不足のように なんとなく 機嫌が悪い
なんとなく、すっきりしない
なんとなく 食欲も やる気も 遊ぶ意欲さえない 感じがする
その眠りには、
脳の中の伝達物質を分泌する 細胞の働きと
体内時計と
成長ホルモンと
内臓のしっかりした働きと
などなど いろんな事柄が複雑に絡み合っている
難しいことが たくさんあるようです。
けれども 日之本元極で 施術を受けられた子供さんたちは
「ぐっすり眠るようになりました」
と 表現されることが 圧倒的に多いものです。
「寝る子は育つ」
まさしく、
ぐっすり 眠ることは 成長の要といえますね。
そういえば、修練をすると とっても眠いです。
尋常ではない 「眠さ」 と表現される方もいます。
電車に乗って、立ったまま、目を開けたまま 寝てました。
という、逸話も届いています。
睡眠不足の方、
眠れない方
睡眠薬を飲む前に、是非とも 15分間の修練を やってみてはいかがですか?
また言葉が前進しました。
言葉が伸びたとはいえ
「僕にもお菓子くれる?」と言うべき所で
「僕にもお菓子あげる?」と言った様な言い回しが残っています。
随分長い間、喋らない、喋らない...と悩み
黙ったままの息子と暮らして生きた私は
間違った言い回しよりも「息子が喋る喜び」の方が大きくて
余り気にしていませんでした。
昨日、パソコンに夢中になっている私に息子が言いました。
「ママ、ちょっと僕の遊びを手伝ってくれない?」と。
その時は「ハイハイ...何を手伝うの?」と
何にも気付かずに息子の相手をしたのですが。
夜、床に就くときに息子が
「ママ~、今日はたくさん遊んでくれてありがとね」と言った時に
「おおおおおお~!!!」と、気付いたのです。
今までなら
「ママ、手伝ってあげて」
「遊んであげてありがとう」
...と言っていました。
人間は愚かなものです。
悪くなる時は即、気付くのに
良くなった時はなかなか気付かないんですもの。
「コドモ観察」の眼がちょっと曇っていましたね。
地元のお祭りに行きました。
息子が赤ちゃんの頃から毎年欠かさずに行っています。
息子は興味の幅の狭い子だったので
ヨーヨー釣りや輪投げなどのゲームは一切やらず
子供むけのショーも全然見向きもしないので
かき氷やタコ焼を食べて早々に帰る...という感じでした。
食べる事は好きなので、食べている時は喜んでいましたが
周囲の楽しげな雰囲気とか、全く関知せずでした。
心身共鳴神法を受けて数ヶ月。
お祭りに出かけました。
「今年はもう脳が動き出したから、きっと楽しめるよね!」
パパとそんな思いを抱いて、張り切って出かけました。
結果...ざ ん ぱ い 。
でも、少しだけ子供むけのイベントに興味を(ほんの僅かに)
示したかな...?
やっぱりそんなに変わらないのかなあ~?
それから1年。
今年もお祭りに行きました。
今回は余り期待せずに。
随分言葉の意味が理解できるようになっていたので
「お祭りに行くよ」と事前に言っておきましたら
「お祭り?」と、何の事だか分からない様子でした。
お祭り会場に着きました。
出店がいっぱいです!
息子は色んなお店を見ていました。
「何を食べる?」と聞くと
「かき氷!」と。
かき氷を食べながら「ポテトも欲しいな」と
ポテト屋さんを見ています。
お腹いっぱい食べて、会場内を歩きました。
息子は キョロ キョロ キョロ キョロ...
色んな出店を見ていました。
その表情はニッコニコ。
ゲームにも挑戦しました。
おまけをもらって大喜び。
そして。
「ママ!お祭りって楽しいね!」
私は涙をこらえるので精一杯でした。
子供らしくなくて可愛くない子だと思っていました。
何を与えても喜ばないので
「一体何だったら喜ぶのだろう?」と怒りさえ感じていました。
それが、気功を受けて色々なものに対しての反応が
本当に変わってきたのです。
変わる息子の様子を見て
「一体この子にはどんな世界が見えていたのかな?」と
何とも言えない気持ちになります。
「ねー、ママ、今日はお祭り楽しかったね」と、
まんまるの笑顔で言う息子を見て
私も今年のお祭りは本当に楽しかったな...と
心の底から思ったのです。
日之本元極の施術を受けられた
子供さんのようすを お母さんが書き留めて
お便りくださいました。 ご紹介します。
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日之本元極に初めて行き、その場で貫頂を受け
そして心身共鳴神法を始めてもらいました。
心身共鳴神法は14日間続く治療です。
その間に息子は問いかけの反応が良くなりました。
夫婦の会話に割り込んで来るようになりました。
やがて周囲の自然な会話から、言葉を学び始めました。
必死で教えなくても(決して飛躍的な進歩は見られませんでしたが)
明らかに今までとは違う言葉の発達をし始めました。
「聴覚過敏」が良くなってきていると
聞くべき音に「焦点」を当てられるようになってきていると
息子の様子を見ていると良く分かりました。
心身共鳴神法を終えて3ヶ月くらい経った頃。
家の中で遊んでいると、お隣の車庫に車が入る音がしました。
お隣の奥さんが帰宅したようです。
カーテンが閉まっていたので、外は見えず、車の姿は見えていません。
その車の音を聞いて息子は
「あれ?誰か来た!パパ?」と。
この家に住んで3年。
お隣の車の音は毎日聞こえていたはずです。
それに全く気付いたそぶりもなかった息子が
初めて反応したのです。
車の音を聞いて
「車の音だ」→「近くに止ったらしい」→「誰のかな?」→「パパかもしれない」
こんな思考が脳内を駆け巡ったのでしょうか?
とっても驚いたし、嬉しかった事と記憶しています。
日之本元極の施術を受けられた
子供さんのようすを お母さんが書き留めて
お便りくださいました。 ご紹介します。
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息子はどうやら
「音は聞こえているけれど、それぞれの音を
調節できずに全部聞いている状態」
ではないかと、ある聴覚専門の先生に言われた事があります。
息子の日常の様子を電話で伝えただけなので
確定診断はしていないのですが
この説明に私は膝を打たずにはいられませんでした。
普通、騒がしい場所でも
隣にいる人と会話をする場合は
その騒音をある程度自然にシャットアウトして
会話の声に焦点を当てて聞く事が出来るのだそうですが
息子には、騒音も会話も全部そのままの音で聞こえてしまうために
どれが大事な音なのか分からない。
だから言葉も自然に発達しないのではないかと。
当時、息子には絵カードを見せて
「これが○○よ」と教えれば、ちゃんと憶えたのに
会話となると全然だめでした。
耳は聞こえているけれど、耳に頼って生きていない。
そんな感じに思えました。
引き続いて、お便り(体験談)をご紹介します。
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文字や数字、マークが大好きでした。
お約束の自閉傾向ですね。
「ママ」と言える前に数字は1~10まで言えました。
自宅の自動車は車種(形)ではなく、ナンバーで探し当てていました。
店に入ると必ず入り口にある「非常口」のマークを確認するために
振り返り、道を歩くと道路標識を指さしながら歩いていました。
絵本を読む時も本文よりも隅にあるページの数字を喜んで見ていたし、
スーパーに行けば値札ばかり見ては大喜びでした。
心身共鳴神法を受けてすぐ「非常口」のこだわりからは解放されました。
マーク類は今でも好きですが、私は気にならない程度なので
「趣味の範囲」になったと思います。
とにかく、マーク類は早々にこだわらなくなったと記憶しています。
問題が「数字」
文字もすぐに「趣味程度」になりましたが数字は手強い。
デジタル時計とか見つけるとすぐに飛んで行って
ずっと吸い込まれたように見入っていました。
でも、少しずつ緩和されていったかな...。
ただ数字があるだけなら反応しなくなり、
やがて吸い込まれても「飽きて」自分から見るのを止めるようになったり。
以前は無理に止めさせるとプチパニック起こしましたからね。
お喋りが伸びるにつれて「数字トーク」が炸裂した時期もありました。
「ねえ、今日はお買いものママと僕と2人で行くの?」
「お菓子3個食べたよ」
「パパとママと僕と3人で寝ようね」
「3時40分からおやつを2個食べたよ」
...と、必ず数字を会話の中に入れる時期がありまして
私は耐えるのに大変でした。
質問も数字関連ばかりで、この時期は
「そんなんどうだっていいやろが!」と
叱ってしまった時期もありましたね...。
現在も数字は好きですが、余り気にならなくなりました。
親戚や友達も「数字好きやな~」と呆れていたのですが
最近は言われなくなったので、多分、興味は薄れていると思います。
年末年始にカレンダーを掛け替えていたら
予想通りに反応して
「僕、カレンダー作るわ~」と
広告の裏に必死で「1~31」まで書きなぐってましたが
すぐに飽きて折り紙折ったり、粘土で遊びだしました。
幼稚園では鬼ごっこやお店屋さんごっこ、工作なども大好きだそうです。
たくさん他にも子供らしいものが好きで
それにプラスアルファで「数字が好き」なら、私はいいと思います。
体験談のご紹介です。
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よく見かけます。
1歳後半歳から2歳ぐらいのお子さんで
晴れてるのに、堂々と長靴を履いている子。
雨でも晴れでも関係なく、長靴がいい!って時期。
ありますよね...。
全部のお子さんにある訳でないと思うけれど。
もちろん...我が子にはそんな時期、ありませんでした。
日之本元極でお世話になり始めて
1年以上経った頃でしょうか?
雨が降った翌日。
とっても天気の良い日でした。
まだ玄関に出ていた昨日履いた長靴を見て息子は
「今日も長靴で幼稚園に行く!」と。
今日は晴れてるからと、何度説得してもダメ。
「長靴がいいの」と。
長靴に関わらず、こんな風に自己主張するのも珍しい事でした。
当時、4歳の年中さん。
恥ずかしいけれど、また成長した証だと思うとちょっと嬉しい。
複雑な思いを抱えて登園...。
幸い、園庭にはまだ昨日の雨の水溜りが乾いておらず
長靴登園もそんなに不自然ではありませんでした。
「何日続くのかなあ...?」
そう心配していましたが
その日の帰りはとっても気温が上がって、暑かった!
息子の足は靴下を履いていても、蒸れ蒸れ。
息子自身も途中で「足が暑い」と言いだしました。
それに長靴だと危ないので、
園庭の遊具では遊ばせてもらえないので
悲しかったようです。
翌朝「今日は靴で行くよ」と言い、
「長靴物語」は、あっけなく1日で終わりました。
発達のやり直しを超特急で済ませた様な
面白い出来事でした。