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今から 食事に行きます。
待ち合わせまでの 一時
花を ながめています。

所狭しと並べられた 花々をみて
きれいとはいえ
ぎゅうぎゅう詰めの 陳列棚のようで
なんだか 悲壮感がありました。

高山の のんびりさに
なれているからかな?

それでも花は

やはり なごやかで
かわいい仕草に みえました。

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休暇をとった 今日
またも突然に
神様から呼ばれて 名古屋講座に
お邪魔しました。

フジの花が きれいに咲いた
有松の街は、
宿場町の風情があり
なかなか 良かったです。

修練もしっかりできて、
邪気もたくさん 出ました。

名古屋の皆さん、
突然、お邪魔しました。
ありがとうございました。

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神様の言葉

神様に 叱れることは 数多い
私は 根っからの貧乏人なので
「まけといてね。音譜」と 一言 口癖のように言う。

なので、「おまけしてあげること」 は
価値あるサービスだと 思いこんでいる。
それで、受講生にも 「おまけしてあげよう」 と 
思ってしまうことが 多い。

たとえば
錬功会に大幅に 遅れて参加しようとしたAさんに
あと、ほんの少しの 時間しか修練が出来ないのだから、
「料金をおまけしよう」 とすることがある。

すると、こっぴどく 叱られる
「お金を もらって あげなさい」 と叱られる。

せっかく、徳を積もうとして 代金を出すのに
せっかく、お金を払ってでも 修練をしようと 思って来ているのに
せっかく、功をのばそうとしているのに

にもかかわらず、 あなたは 本当にパンチ!

カボチャや じゃがいもの おまけとは訳が違います。
無形の 「徳」と「功」の やり取りが
お金と 時間を仲介にして なされているんですよ。

われわれが、お金に見合った 成果を彼女に届けます。
われわれが、彼女の誠意に 見合った成果を彼女に届けます。

ですから
「おまけ」なんてしないで、きちんと お金をもらって あげなさい。
価値ある 「お金」の使い方を してもらいなさい。

等々と 

叱られることが たくさん たくさん たくさん あります。

でも やっぱり わたしは
おまけが 大好きなんです。にひひ

神様の言葉

「神様は、血も涙もない。汗」 と 思うことがある。

親切にしない こと
思いやりをかけない こと を
求められることが たびたび あるからだ。

相手に 思いやりを 届けようとすると
「苦しみを与えてあげなさい。」
「そうすれば、彼女のカルマが解消されます。」 と 
おっしゃることも しばしば汗

心身共鳴神法を 実施すれば
もっと、回復が 早まるだろうに
そうではなくて
努力して 修練の成果で 回復することを
求められることもある。

きっと 努力の成果と
努力の 過程を 観ておられるのだろう。

「神には 血も涙もない」 と ぼやくと

そりゃあ!そうだよむかっ
無形の存在だから
血も涙も
無いに決まってるじゃないビックリマーク
と 神に一番近い 先生に言われた
叫び

神様の言葉

今日も 相も変わらぬ 日常の 時が過ぎました。
なんの変化もなく 過ぎていく日常が
なんだか 「むなしい」 とか 「たいくつだ」 とか
思うことが ありました。

けれど 
この 日常の 時の流れの中で
不自由無く 過ごせる 「ありがたさ」を
身にしみて 感じています。

いえ、いえ
本当は 身にしみて感じては いないんですよね。
なんだか、そう思わなくてはいけないような 
強迫観を 私が 感じているだけなんです。

非常時に 当事者でなくては
感じることが出来ない 心情を 
思って、寄り添うことを してみるものの
「想像の域」 をでることは 出来ないんですね。

だから、厳しい試練を与えているんですよ。
本当に 体験しないと
分からないことが たくさんあります。

と神様は 言われます。

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農家の豆腐屋さん
「青豆豆腐」の お店に立ち寄った。
そこで買った 
緑色の大豆

塩で茹でるだけで
まるで、新鮮な えだまめ のような 味わい
ビールと 一緒にいただきました。ビール

とっても おいしかったです。

豆腐も 油揚げも 厚揚げも おいしかったけれど
何より 「緑色の大豆」が一番に おいしかったです

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神様の言葉

私は 神様に よくよく よく 叱られる。
「朴念仁」 とか
「とんま」 とか
「あわて者」 とか

最近も あることで 叱られたんです。
「過ぎたるは及ばざるがごとしパンチ! 」
余計な手出しを してはいけませんよ。  

と たしなめられました。

神様は言われます。

せっかく、試練を与えているのに
試練を どう乗り越えるかを 体験させているのに
にもかかわらず

あなたは
あれや これや と
手助けをして ぶちこわしに していますよ。
余計なお世話を 止めなさい。

心を寄せて だまって 見守ること
これで、 良いのです。

と 言われます。

私は よかれと思って 
ついつい よけいな
口も 手も 出してしまうのです。

反省あせる しています。

神様の言葉

この危機を どう乗り越えるのかを 観ています。
この危機を 乗り越えられないようでは 
今後の厳しい仕事を やりこなすことが出来ません。

と 神は おっしゃる 

「試練」を与えて 試すのではなく
ほめて讃えて 育てて欲しい。 と お願いすると

人は、困難なときこそ その人となりの 強さが出ます。
真剣な 生き方が そこに顕れます。

満ち足りたときには、誰しもが 働くことが出来ます。
誰しもが、仕事を能率良く こなすことが出来るでしょう。

けれど

困難なときに どれほど 力を発揮できるのか
どれだけ 自己の欠点を 補いながら
マイナスを プラスに変えられるのか

気持ちが落ち込んでも
あわてふためいても
苦しみのそこにいても

使命の仕事をしなければ ならないのです。
「試練」は、与え続けます。
そして、
試練を受けても なおかつ
働ける者を 「飛騨の国へ行くように…」 と
諭しています。

神様の言葉

「縁のある者 役割のある者達に 伝えなさい。」と
またまた、明け方 
四時頃(ようじの時間)に 起こされた。

みんなに 伝えなさい 

ひだは 神の国です。
縁のある 皆さん
役割を与えられている 方々

そろそろ 準備を 急ぎなさい
にっちもさっちも いかなくなる その前に

高山に 来なさい。
ひだ高山で、ともに 尊い仕事をしましょう。

さあぁ 準備を急ぎなさい。
その時は すぐに 来ます。
時は、あっという間に 過ぎてしまいます。

さあ、気持ちを定めて、 
「本当の仕事」を するときが 来ていますよ。 

と 伝えられました。

今後は、常識や 世間体や お金やモノなど
振り切って、ふりきって、ふりきって 
歩く、強さが求められているようです。

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高山市の新宮町 ここは 農業地帯
夜は、真っ暗になって カエルが鳴いている

のどかで 静かな町だけれど
春の訪れと共に
春の「音」が大きく 響いてくる

大地を耕す「音」
農地を耕す トラクターや 耕耘機の音が 
一斉に 春の訪れを知らせる

この「音」ビックリマーク
なかなかの音量で
地面に響いて お腹に届く

乗って 運転しているか方は 
「さぞかし 疲れるだろうな~ 」と 思いつつ

同時に 
「うるさいなぁむかっ」 の一言を 飲み込んで 納める

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 女川
宮城県 女川町 3月24日