神様の言葉

子供達と 一緒に 修練をしている ご家庭があります。

場創りをして 「場」を整えて 

いざ、静功や修練を 始めると 

パンパン ミシミシ ギシギシ ガタガタ 

大音量の ラップ音が するそうです。

その音が とっても 怖いので 

「修練が出来ないのです」 と 相談がありました。

そこで 家族を守ってくださっている 神様に聞いてみました

すると こんな 言葉が 返ってきました。

心に響く 奥深い 言葉でしたので ご紹介します

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わたしは ただただ、

彼等の家にいて 救いたいと思っているのです。

彼等が心底 信じて 修練をして、 

人のために生きる役割を 与えられている 彼等に

あなたより 伝えてください。  

どうか 怖がらないでください。

私の存在は いつも あなたのそばに あって、見守っています。

いつも 姿が みえませんが いつも いつも そばにいて 見ています。

元気なときも 苦しいときも 

苦しいときは、苦しいなりに 道が開かれていく 時です。

チャンスだと 思って 努力することです。

元気なときには 自分のことだけでは無く 

他の人にも 目を向けて親切に出来る 人になってください。

そうして、身近なところから 人のために 生きることを 学んでください。 

まだ、子供だからと いわずに 甘えていないで 努力してください。

努力は かならず 報われます。

しかし、生きている 間は 苦しいと感じるときも あります。  

これが 終末の時に 生きる ことの意味です。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

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神様の言葉

神様が 「本当に ふがいないビックリマーク」 と 言われました。

さてはてなマークこの 「ふがいない」 の 意味が 私には 判らないのです。

困ったことです。

以前に 私に対して おっしゃった 「朴念仁」 も 

よく意味が分かりませんでした。

まぁ それで、いろいろ 調べてみると

「ふがいない」 は 以下のような 意味だと判りました。

本当に、 神様は 物知りですよねぇ

神様方が 活躍していらした その昔は 語彙が豊かだったんですね。

また、教えてください。 いつも いつも ありがとうございます。

*********** Yahoo!知恵袋より ベストアンサー

「不甲斐ない」は「腑甲斐無い」の誤りです。

……腑甲斐無い:肝っ玉はありながらそのかいがない。

=肝っ玉があっても何にもならない。=だらし(が)ない。
「頼り甲斐が無い」、「努力したかいが無い」などの表現もありますね。

「不甲斐ない」という表記は、は「ふがいない」と言うのを耳で聴いて、
……“否定的な意味だから「ふ」は「不」だろう” と誤解されたのが始まりでしょう。

「腑甲斐無い」は「申し訳無い」と同じで、文語的表現「腑甲斐-無し」、「申し訳-無し」がそのまま口語になったもので、意味は“「腑甲斐」が無い” です。

「不甲斐ない」と言うなら、“「不甲斐」が無い” の「不甲斐」とは何でしょうか?

『広辞苑』 (第一版で見ています) には、当然ですが「腑甲斐無い」「腑甲斐無し」しかありません。
『新明解国語辞典』 (第四版) は 「ふがいない」の見出しで、
……[表記] 普通、「〈腑《甲〈斐無い」と書く。 としています。

昔は校正の際に、「不甲斐ない」とあれば「腑甲斐ない」に訂正したものです。
最初に「不甲斐無い」を載せたのは『大辞泉』 (最初の版から) です。


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神様の言葉

「阿修羅の部下です。」 と 
言われる 神様が
ある修練者を 叱った。

直接 ご本人に伝えて下されば いいのに
私が中に入って お話を 伺うことになったので、
その中身の 一節をご紹介します。

この 内容って どこかで聞いたような
何度も 聞いたような
誰にでも 当てはまるような 事柄です。

もしかして、
私に対して 叱っていらっしゃるのかしら… とか
思いながら 聞きました。

********

○○には 極めて重要な 役割を与えているのに
いつも優柔不断で 決心が出来ないのです。
優しさは 良い点ですが 欠点でもあります。

もっと、精進して 身を律していく必要があります。
修練を 重ねてこそ、その先が開かれます。
しっかり 修練をするように
そして
さらに 厳しく自己を見つめるように

何が一番大事なのかを
見極めなければ行けません~ つづく~

*******

「捨てる神あれば 拾う神あり」
なんて言うけど
私は、叱られてばっかりいます。

今日も…

神様の言葉

立夏特別講座の 途中から
好転反応で ノックダウンしています。

今回は
エネルギーが 入っての好転反応のようですが、
体調が悪いときの すべてが 好転反応かというと
そうではないことも 多いのです。

体調の悪化は 神様からの
「注意喚起」
「おしらせ」
「お叱り」

であることも あります。

早々に 気がついて
導きに従うことが出来れば 簡単に 症状が取れるものを

目の前の 雑用の方に 気が走ったり
世間体や 我欲に 気が走ると
いつまでも いつまでも 症状から 解放されません。

たとえば、ある日の出来事

私は あまりにも 吐き気がするので
「ふーふー」 「ゲボゲボ」 ガーン していたら
それを観ていた 増田先生が

こうのように おっしゃった ことがあります。

あなたビックリマーク神様の言葉を 聞いてないんじゃないの!?
神様から なにか お話が あるんじゃないのビックリマーク
あなたが 必要なことを 聞き取らないときに耳
いつも 体調が 悪くなっているんだよむかっむかっ

どうして、それが 分からないんだパンチ! いつも いつも
こうして、身体に 症状が出て 
注意して 教えて下さっている ときには
まだ、許されているんだろうけれど

そのうち、…あせる
もう おしまいだからね。


まったく もうパンチ!


神様は いつも 心の中を見ておられるので
嘘は つけないのです。
厳しいですね。
しょぼん

神様の言葉

増田先生の 咳のようすが おかしくて
いつも 咳が出続けて 止まらないご様子
なかなか 治る気配が ない
それで、 神様に聞いてみた。

その答えは、
「肺の働きを 強化している好転反応です。」
との ことで ひとまずは安心

それで、 どうしてはてなマーク
私には 大きな変化が 無くて
増田先生には 強い変化があるのだろう  と

不思議になったので
もう一度 神様に聞いてみた。

すると
こういう答えが返ってきた。

あなたの 場合は 「おろそかに」目
増田の場合には 一時に激しく 症状が出ています。

それって、もしかして 
「性格と 同じだってこと なのかなはてなマーク

神様の言葉

神様に 叱れることは 数多い
私は 根っからの貧乏人なので
「まけといてね。音譜」と 一言 口癖のように言う。

なので、「おまけしてあげること」 は
価値あるサービスだと 思いこんでいる。
それで、受講生にも 「おまけしてあげよう」 と 
思ってしまうことが 多い。

たとえば
錬功会に大幅に 遅れて参加しようとしたAさんに
あと、ほんの少しの 時間しか修練が出来ないのだから、
「料金をおまけしよう」 とすることがある。

すると、こっぴどく 叱られる
「お金を もらって あげなさい」 と叱られる。

せっかく、徳を積もうとして 代金を出すのに
せっかく、お金を払ってでも 修練をしようと 思って来ているのに
せっかく、功をのばそうとしているのに

にもかかわらず、 あなたは 本当にパンチ!

カボチャや じゃがいもの おまけとは訳が違います。
無形の 「徳」と「功」の やり取りが
お金と 時間を仲介にして なされているんですよ。

われわれが、お金に見合った 成果を彼女に届けます。
われわれが、彼女の誠意に 見合った成果を彼女に届けます。

ですから
「おまけ」なんてしないで、きちんと お金をもらって あげなさい。
価値ある 「お金」の使い方を してもらいなさい。

等々と 

叱られることが たくさん たくさん たくさん あります。

でも やっぱり わたしは
おまけが 大好きなんです。にひひ

神様の言葉

「神様は、血も涙もない。汗」 と 思うことがある。

親切にしない こと
思いやりをかけない こと を
求められることが たびたび あるからだ。

相手に 思いやりを 届けようとすると
「苦しみを与えてあげなさい。」
「そうすれば、彼女のカルマが解消されます。」 と 
おっしゃることも しばしば汗

心身共鳴神法を 実施すれば
もっと、回復が 早まるだろうに
そうではなくて
努力して 修練の成果で 回復することを
求められることもある。

きっと 努力の成果と
努力の 過程を 観ておられるのだろう。

「神には 血も涙もない」 と ぼやくと

そりゃあ!そうだよむかっ
無形の存在だから
血も涙も
無いに決まってるじゃないビックリマーク
と 神に一番近い 先生に言われた
叫び

神様の言葉

今日も 相も変わらぬ 日常の 時が過ぎました。
なんの変化もなく 過ぎていく日常が
なんだか 「むなしい」 とか 「たいくつだ」 とか
思うことが ありました。

けれど 
この 日常の 時の流れの中で
不自由無く 過ごせる 「ありがたさ」を
身にしみて 感じています。

いえ、いえ
本当は 身にしみて感じては いないんですよね。
なんだか、そう思わなくてはいけないような 
強迫観を 私が 感じているだけなんです。

非常時に 当事者でなくては
感じることが出来ない 心情を 
思って、寄り添うことを してみるものの
「想像の域」 をでることは 出来ないんですね。

だから、厳しい試練を与えているんですよ。
本当に 体験しないと
分からないことが たくさんあります。

と神様は 言われます。

神様の言葉

私は 神様に よくよく よく 叱られる。
「朴念仁」 とか
「とんま」 とか
「あわて者」 とか

最近も あることで 叱られたんです。
「過ぎたるは及ばざるがごとしパンチ! 」
余計な手出しを してはいけませんよ。  

と たしなめられました。

神様は言われます。

せっかく、試練を与えているのに
試練を どう乗り越えるかを 体験させているのに
にもかかわらず

あなたは
あれや これや と
手助けをして ぶちこわしに していますよ。
余計なお世話を 止めなさい。

心を寄せて だまって 見守ること
これで、 良いのです。

と 言われます。

私は よかれと思って 
ついつい よけいな
口も 手も 出してしまうのです。

反省あせる しています。

神様の言葉

この危機を どう乗り越えるのかを 観ています。
この危機を 乗り越えられないようでは 
今後の厳しい仕事を やりこなすことが出来ません。

と 神は おっしゃる 

「試練」を与えて 試すのではなく
ほめて讃えて 育てて欲しい。 と お願いすると

人は、困難なときこそ その人となりの 強さが出ます。
真剣な 生き方が そこに顕れます。

満ち足りたときには、誰しもが 働くことが出来ます。
誰しもが、仕事を能率良く こなすことが出来るでしょう。

けれど

困難なときに どれほど 力を発揮できるのか
どれだけ 自己の欠点を 補いながら
マイナスを プラスに変えられるのか

気持ちが落ち込んでも
あわてふためいても
苦しみのそこにいても

使命の仕事をしなければ ならないのです。
「試練」は、与え続けます。
そして、
試練を受けても なおかつ
働ける者を 「飛騨の国へ行くように…」 と
諭しています。