日之本元極, 神様の言葉飛騨高山

下の写真は、
左側が「利尻島」と「礼文島」
右側が「屋久島」と「種子島」
の衛星写真です。
島の大きさは、異なりますが

姿、形は、実にそっくりです。

さらに、島の環境もそっくりなのです。
利尻島は、利尻富士と呼ばれる利尻山(1721メートル)が
島の真ん中にあり、
島の外側に、国道がぐるりと一周走っています。
利尻島の面積は 182.11 km²
お隣の礼文島は、浮島と呼ばれて「野草や花」の宝庫です。

 

屋久島の面積は 504.9 km²
屋久島は、野生動物と屋久杉の森で知られています。
宮之浦岳(1,935 m)には、太古の昔から生き続ける縄文杉があります。

島の外側を生活道路が一本走っています。

一年365日のうち、300日は雨が降ると評される「屋久島」ですが
お隣の「種子島」は、

晴天が多くてロケットの打ち上げに最適とされています。

南の端と 北の端の 実に似ている二つの「島」に
行くようにと 天命によって 導かれたのです。

屋久島へは2年前に、行くようにと命じられました。

この二つの「島」に、なぜ?
行かなければならなかったのか? 

その理由については、知らされてはいません。

いつかふたたび「利尻島」と「礼文島」に

行かなければならない時が、来るでしょう。
と予言されています。

 

 

 

 

日之本元極, 神様の言葉天の声, 屋久島, 飛騨高山

北海道の利尻島へ行きました。
導きがあったからです。
「夏休みになってからでは、どうでしょうか?」 と

天に、時を伺いましたら

「立秋の時が来る前に来てください。」と おっしゃるので

「どうしてですか?」と その理由をお尋ねしました。

すると 天はおっしゃいました。
「来るときが遅れると、この島に来れなくなるからです。」
「稚内から船で来なさい。飛行機ではご用が果たせません。」

と具体的なご指示もありました。

8月3日から5日
利尻島へ行き、導き通り、駆け足で利尻島を巡りました。

天気は「雨」。風も強くて、観光どころではありませんでした。

ようやく、高山にたどり着いた翌日
50年に一度の大雨が「利尻島」と「稚内」に降りました。
導き通りに、行くべき時に行動することが大事だったわけです。
「利尻島」「礼文島」姉妹都市は
「屋久島」「種子島」なのだそうです。

そのわけは

つづく

 

神様の言葉増田先生, 日之本元極, 飛騨高山

7月2日に 関東上級に現れた「火球」の正体は、

直径数十センチの隕石である可能性が高い

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このニュースを聞いたときに 
これから起きるであろう 出来事とは
「地震」だけでは無いんだぁ~ 

こういうことも あるのかも知れない

「としのぶが なくなります」という言葉の中身は
何を示しているのか わかりませんが

ひとつや ふたつの 出来事では無いのでしょうね

先日、増田先生が独り言のように つぶやかれた言葉が

とても印象的でした。

「神様が、世界中の経済も人も縮小する出来事が起きます。」と
何年も前から 降ろされていて 
「そんなことが本当に? 起きるんだろうか?」と 思っていたけれど

新型コロナウイルスの出現によって 本当に! 現実になったね。 と

わたしたちは、
神が降ろす言葉には 意図があるので
その時には、結果が違っていて「嘘」のような出来事もあるのです
けれど、未来の出来事が解っている 神界からの指令なので
何があっても 指示された通りに 行動することにしています。
秋が来る前に、準備をすべて終えておきなさい。
「としのぶが なくなります」
「秋が来る前」とは、
たぶん 「立秋」(8月7日)を意味していると思います。

 

すでに、都市を離れて 高山に来る決意を固めた方もおられます。
「嘘」かも知れませんが、神が降ろされたとおりに 
行動してみる価値は あるかも知れません。
そもそも その「価値」さえ 何なのか? 
我々には解らない のですけれど

高山にきませんか?

午後11時の気温 17度
肌寒い位の 過ごしやすい気温です。
深呼吸も出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

神様の言葉, 神社、仏閣日之本元極, 飛騨高山

修練者のOさんから、体験談が届きました。
ご紹介します。
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高山市新宮町にある「新宮神社」に
全国から 神々が大挙して おいでくださったので
名称が「本宮神社に変わりました」という

ご説明だったので「そうなんだぁ~」とは思っていたのですが

「自覚したり」「実感したり」「見えたり」「聞こえたり」
することも出来ぬまま参拝を続けていました。
ところが 先日お参りしたところ
目を閉じても 明るい光が見えました

ドクンドクン と眼に拍動するエネルギーを感じたのです。

これが 本宮神社になった エネルギーなんだ!
これが 宇宙の神様も 世界中の神々も
集まって来られた 神社のエネルギーなんだ!と
実感できました。
本宮神社を後にしても 
眼の奥に 明るい光が残っているかのように
景色がまぶしく 光って見えました。

とっても不思議な 奇妙だけれども 幸せな瞬間でした。

新宮神社は 本宮神社に

本当に 変わったのだと 実感できた瞬間でした。

 

 

 

12字真言, 神様の言葉さとり, 修練, 日之本元極

昨日のブログを読んだ方から ご質問をいただきました。

「1日に8時間も修練をした のに どうして? この方は死んでしまったのですか?」
世の中の常識としては 当たり前のようなご質問ですが、
5月17日(日)階ヒト4次元講座に参加された皆さんの前で
このことをお話しした時には、どなたも 深くうなずくばかりで
「肉体が死を迎えること」「天に召されること」の意味を
深く悟ってくださっているご様子でした。
私は「どうして死んだの?」という質問の代わりに 
「どうして神上がったのですか?」と神に質問してみました。
すると 神様は応えておっしゃいました。
「彼女はいつも 無心でした。」
不安も無く 欲も無く 恐怖も無く 心配さえ無い心構えでした。
愚痴も言わず 人を憎まず ひたすら感謝して過ごせました。
元気を失わず 明るく過ごすことに心がけました。
死を目前にして このように振る舞える人は多くはいません。
嘆いたり、悲しんだり、過去を振り返ったり、
生きていた証拠を残そうと躍起になったり、忘れないでと懇願したり
人はそれぞれ、のたうち回るような苦しみを死の淵で味わうのです。
録音教材を使って 修練をすることが許されなくなっても 焦ること無く
12字真言を唱えることを忘れず 「無心」で過ごすことが出来ました。

無理解な家族のことも 憎むどころか 気遣って感謝していました。

修練が出来た時には
1日8時間の修練時間を 何とか創り出そうと 懸命に努力しました。
けれど、家事もこなして おいしい食事も作りました。
単純な生活の中でも 時間を楽しむことも工夫していました。
「1日に6時間しか修練が出来ない。」と正直に答えて笑っていました。

「修練をしていると忙しくて、悩んでいる暇が無いの!」と 忙しさを生きがいにしていました。

体に障害を抱えていたから 特別のことをしなくても

日常の中で楽しむ工夫が出来ていたのでしょう。

特別に、大層なことが出来たわけではない人生のように見えて
人として、充実した人生だったと思います。
彼女は、与えられたチャンス(日之本元極の修練をする機会)をしっかりと受け取って 無心に、とんでもない努力ができたのですから 神上がりました。

 

つづく

 

さとりの法 , 神様の言葉さとり, 天の声, 日之本元極

5月17日の朝 9時頃に

前日の16日に、お亡くなりになったHさんから 言葉が降ろされました。

率直な言葉を聞いているうちに Hさんの満面の笑顔が見えて

そのうち 元極音楽まで聞こえてきました。

Hさんにいつ電話をしても 修練用の音楽がバックに聞こえていました。

ここからは、Hさんの言葉のままをご紹介します。

これまでは、

降ろされた言葉を そのままご紹介することはありませんでしたけれど 

「これからは次々に 良い出来事が起こりますよ。」と天から降ろされましたので 

皆様方にも 「ハシゴ」を登っていただくためにも ご紹介することになりました。

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Hさんの言葉

私は、ただただ、もう少し生きたい、生きていたいという思いだけで、修練を続けてきました。
一日に8時間続けても、講座を受講しても、気絶神倉法の施術を受け続けても、私の病状は悪くなるばかりで一向に回復しませんでした。

こんなことを続けていていいのだろうか? と不安に思った頃に増田先生からお話がありました。
「もうこれ以上は回復しません」「肉体の命は諦めなさい」
と言われました。

さらに、続けて諭すようにお話しくださったことは
「肉体の命は、もうこれ以上生き続けることは出来なくても、
 あなたの意識は生き残って神界へ行ける可能性があるから、修練をしっかり頑張りなさい」と 言われました。

このお話を聞いた時から
不安なことも 困難なことも苦しいことも 体の痛みも これを我慢すれば、次の世に生き残って
次の世を観ることが出来る。という思いで
「修練を頑張ろう!」と 思うことが許されました。

ただ一つ、心残りなのは
家で過ごしたい。家で死にたいと思っていたことですけれど
これは、長年一緒に暮らした家族の不安を思えば、到底出来ないことだと気がつきました。

「私を看取ってくれる」長年ともに過ごした家族たちを不安にさせてはいけない。という思いから
病院で最後を迎えることを余儀なくされたものの満足して、最後の時を迎えることになりました。

体が辛くて仕方がないので、早く逝きたい。
でも、もうちょっと 生きていたい。
そんな、思いと戦いながら、朦朧とした意識の中で 神様のお迎えを待っていました。

いつも 和やかな音楽が聞こえるので 私は、夢の中にいるような気持ちでした。

痛いところもあったし、不愉快なこともあったし、いらだつこともありました。けれども それはそれとして

もっと他の気持ちが 私の中にはいっぱいあって、穏やかに時間を過ごすことができました。もうこれ以上、悩んだり 不安になったり 恐怖を感じたりする必要はない。

悟った気持ちがあって、
楽々とした最後を迎えることが出来ましたこと、嬉しい限りです。

最後に、皆様とお供させていただいた 日之本元極の研修旅行「出雲への旅行」(3月27~29日)では
大変お世話になり、ご迷惑をおかけしたことと思います。
けれど、私にとっては「冥土の土産」という言葉が ぴったりなほど、
この旅行は楽しくて、嬉しくて喜びがいっぱいの旅になりました。

もう二度とは 叶わないであろうと、思っていた 喜びに満ちたこの時間を皆さんと
ご一緒に過ごせましたこと 大変ありがたく思っております。

それにしましても
私を最後まで 看取っていただきましたRさんには
本当に強い愛情をかけていただきまして、お礼の言葉もありません。

あなたが、何のためらいもなく 私の手を取って一緒に歩いてくださいましたこと
体を抱えてサポートしてくださったこと 本当にありがたく思っています

この感謝の気持ちは、きっと神様に届いて あなたの今後に役立つことだけを願っています。

さて、みなさん、私は
こうして みなさんとお話を続けることが出来る立場に来させていただきました。
私は 皆さんがこのはしごを伝って、この世界に来てくださいますこと願いながら待っています。

私のような未熟なモノでも 短い期間でしたけれど、懸命に修練したことによって
この「ハシゴ」を登らせていただきました

どうか、みなさんも 修練を続けることによって
この「ハシゴ」を 上ってきてください。

お待ちしています。

つづく

 

神様の言葉

先日のこと 再び天の神様から 言葉が降ろされました。

以下、ご紹介します。*******

神界では、すでに「とし」が様変わりしています。

この様変わりが、顕界にとっていつになるのか?

それはそれとして、早く皆さんに伝えてください。

早く大事な人に 東京から高山に来るように伝えておきなさい。

都会から 高山に来るように伝えなさい。

都市が消えて無くなります。

「としのぶ」は消えて無くなります。

その前に、高山にいらっしゃい。

その前に「としのぶ」から一刻も早く移りなさい。

縁のある人たちに伝えなさい。

信じてもらえる人たちだけに 伝えなさい。

 

神様の言葉日之本元極, 特別講座, 飛騨高山

立夏特別講座が無事に終わりました。

なんと、4月29日から5月6日までの長~い日程でした。

その間に 遠くからも 高山の方々も

大勢の方が 来てくださいました。

東京や大阪からも 複数の方々がおいでくださいました。

そこで私は、皆さんにお伝えしたのです。

「そろそろ、高山においでになってはいかがですか?」

すると、皆さん口をそろえて「そうですねぇ~」

と 同意するような返事をなさいます。

けれども その心情は「わかりました」ではありません。

その気持ちは、痛いほどわかっているので、

あえて曖昧に「そうですねぇ~」でお互いに済ませているのです。

なのに、神様はおっしゃいました。

「もう一度、あなたは同じ言葉を伝えなさい。」

「そろそろ、高山に来てはいかがですか?と声をかけなさい。」

そうおっしゃるのです。

そこで、私は 再び、三度 声をかけました

「そろそろ、高山に来てはいかがですか?」 と

すると 「はい、わかりました。」

返事をされた方もおられました。

ブログを読んでくださる方々へも 再度 お伝えします

「もう、そろそろ 高山に来てはいかがですか?」

 

 

神様の言葉ひがし, ふじやま, ますだ, 日之本元極, 気のエネルギー, 気功教室, 気功法, 飛騨高山

ふじははれたり にほんばれ

ふじのおやまは はればれと

ふじのおやまは はればれと

ふじは ふじでも そのふじは

ふじの やまでも そのやまは

かんじがちがうよ

ももよろず

かんじが ちがって かんちがい

ふじのおやまは どこにある

どこにもないよ 

ももよろず

にしから かぜがふいて

ひがしに うつり

みなみと きたに うつります

にしのかぜは ふいて ちりました

ひがしのかぜは いちだんと

おおきくなって いるところです

にほんのふじは ますだが しはいしています

がいこくの ふじは にほんのふじに

れんどうします

ますだが うけもつ にほんのふじは

はらいやまから くらいやまに うつりました

ふじは ふじでも このふじは

ふじのおやまと おおちがい

ふじのおやまは すぐそばの 

やまいのなかに とんざする

やまいのなかに ふじやまが

われもわれもと とんざ する

神様の言葉おやま, きゅうしゅう, にほん, ふじの, まるまる

もう 10年以上も前の ある時

増田先生の 帯功を受けていたら

天から 言葉が降ろされました

この意味は 未だに 全く判りません。

そろそろ 公開しても良さそうなので ご紹介します

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さんかく しかく が まるになり

まんまるまる に なりました

まんまるまる になった そのたまは

ふじの おやまの そこにあり

おやまの なかで ばくはつします

ばくはつ するのが いつかというと

それは はなしが できません。

けれども おやまは いくつもの

やまに わかれて ばくはつします

おやまの たまは はなれて ころころと うごきます

いくつもの やまに うごいてとまり

うごいて とまって ばくはつします

ふじのおやまの その ねもとに

まあるいたまが はれるとき 

ふじは はれたり にほんばれ

はれるときには はればれと

はれわたり

はれは めぐりめぐって きゅうしゅうします

きゅうしゅう したたまは またひとつ

おおきくなって ふじのおやまに かえります

ふじははれたり にほんばれ

ふじのおやまは はればれと

ふじのおやまは はればれと