今日は 火曜日
日之本元極の 定休日
ゆっくり 休める はず の今日
朝から、頭が痛くて 熱がある
もう何年も 体温計の無い生活をしているから
熱が どの程度かは 分からないけれど
たぶん、とても高い
びっくりするほど 高い気 がする
しかも 額ばかりが 熱い
気がつくと 首から上だけが 熱い
「悪い所に エネルギーを届けています。」
「悪い所の 働きを よくしています。」
という言葉は 神様の口癖だけれど
と いうことは
私は、首から上が 「悪い」
ということなのかなぁ
気功教室で講師をしています。中国元極功法800年の伝統を受け継いだ功法です。
今日は 火曜日
日之本元極の 定休日
ゆっくり 休める はず の今日
朝から、頭が痛くて 熱がある
もう何年も 体温計の無い生活をしているから
熱が どの程度かは 分からないけれど
たぶん、とても高い
びっくりするほど 高い気 がする
しかも 額ばかりが 熱い
気がつくと 首から上だけが 熱い
「悪い所に エネルギーを届けています。」
「悪い所の 働きを よくしています。」
という言葉は 神様の口癖だけれど
と いうことは
私は、首から上が 「悪い」
ということなのかなぁ
「知らないから 不安になる。」と 池上さんが 言っている。
正しい事実を 知ること
正しい情報を 知ること
正しく理解 すること
それらを知って 正しい行動をすればよいのだ 。と
それはそれで、正しい。 と 思う。
けれど
正確で 正しい事実を 知って
その上で、冷静に 「正しい行動」を
人は出来るのだろうか
私も含めて
この欲深き 「人」が 自分の事をさておき
家族のことをさておき
友人のことをさておき
困っている「人」のために 働けるだろうか
神様からは 「徳」と「功」 を求められて
誰にでも平等に 接するように と
求められているけれど
「徳」を積むことは なかなか難しい。
さらに、我欲を 捨てることは もっと難しい。
「知る」ことは 大切だけれど
「我欲」を捨てることは もっと 大事なんだろうなぁ。
と 思っては… いる。
学生時代 も
就職してからも 「栄養学」が 好きだった
「好き」というよりも
むしろ 強迫的に
「食べなければ 栄養不良になる」 と 思いこんでいた。
だから、きちんと食べることに 必死だった。
ところが
日之本元極の修練を はじめてから
食事は いたってシンプルになった。
ご飯と つけものと 味噌汁 程度
野菜と、 お米と うどん などの 炭水化物
少しの豆
時々 大好きな ビールを飲む。
(これは、栄養ではなく 心の満足に届く )
肉も 魚も 外食の時に 食べる程度
ほとんど食べない
でも、栄養不足を 感じたことはなく
至って元気
元気なことも 嬉しいが、
食事に 気を遣わない生活も 楽でいい
しかも経済的
気功の 修練で気のエネルギーが
満ちているからだと 思います。
おかげさま
「何が欲しい」と 問われたら 「 おいしいモノ 」 と 答えるだろうし
「何がしたい」と 問われたら 「ゆっくり寝たい」 と 答えるだろう
「趣味は」 と聞かれたら 「今は…ない」 としか 答えがない
そういえば、昔は いろいろ チャレンジしてみた
唄も、音楽も 旅行も 読書も 生け花も
なんだか ごちゃごちゃ と いっぱいあったけれど、
一芸に秀でることもなく 芸は身を助ける 程にも上達せず
すべて、忘れてしまった。
それで、
「何が楽しみで 生きているのか?」 と自問自答すると
生きているのではなくて、「生かされている。」 と 答えが出てきた。
ついつい、自分の力で生きている と思いがちだけれど、
たぶん、自然の摂理や
神々の意図によって
生かされている命 なのだと 思う。
食べないと 健康になれない という恐怖が私はある。
いえ、昔はそう思っていました。
日之本元極の功法に 出会う前のことです。
学校教育の中でも
ちまたの栄養学でも
医学でも
徹底的に
「栄養が不足すると 病気になる」と 教育されてきました。
それで、自分自身も 周囲にも 子供達にも
「食べることがいかに大切なのか」 を 話して実践してきたのです。
自然食や添加物の少ない 食品を選んできたし
随分気も遣ってきました。
だけど
日之本元極功法を 修練するようになってからは
炭水化物に偏る ご飯生活
魚も 肉も ほとんど食べないから
私は
栄養学では 「栄養不良」「栄養失調」なんだけれど
それでもとっても元気です。
今後は、食品の汚染も 心配だし
作物も 天候の不順で 出来るかどうかも分からないし
たくさん食べなくても
三元エネルギーを満たすことで 身体を健康にする
日之本元極の功法を
世界中の皆さんに 知らせて行かなくっちゃ… と
強く強く 思っています
阪神大震災の時に 尼崎市の実家で
偶然にも 被災した私は
その時の恐怖を まだ、忘れられずにいる。
そして、先日
地震の日から 2週間経った
宮城県の牡鹿半島の海辺の町 女川町に入って
その 壮絶さを 目の当たりにして
ただただ、驚くだけだった。
阪神大震災では
地震後、いたる所に 生花が飾られたり
線香が 焚かれたり
死を弔う光景が たくさん見られた。
つぶれた 家の下敷きになったであろう
その場所に
生花やお酒や お菓子などが供えられていた
それを見て、悲しみの涙が出て あふれてしまうような
ゆとりもあった。
しかし、女川町の
津波の 脅威の爪痕には
死の弔いも ままならぬほど
津波の威力は 家屋も 車も 舟も 電車も
ズタズタに切り裂いてしまった。
人の死を 悲しむこと、
弔うこと
受け入れることも
許さぬような 脅威が
目の前に 立ちはだかっていて
涙する ゆとりさえ、無かった。
私は、なぜだかとても 緊張して
「しっかり!しなければいけない。」と
繰り返し 繰り返し 自分を励ますのに
精一杯だった。
阪神大震災は 怖かった 大変だった
けれど
今回の 地震と 津波は それ以上…
思わず 息をのんだ。