母のこと101歳, 日之本元極, 気功, 気功教室, 気功法, 老い, 蓮花山, 長寿, 飛騨高山

今年、101才を迎える母親は

時々 呼吸を忘れる 発作があります

はじめての発作時には びっくりして

救急車を呼びました

ところが、心臓はきちんと動いていたので

何事も無かったかのように 復活して

自宅に戻ってきました。

延命治療はしないと 家族で決めたので

在宅医療を自宅で 受けることになりました

寝て食べて 寝て寝て 食べて寝て

を繰り返していますが

日之本元極の修練には、週に三回参加して

2階の錬功室への 階段を上っています。

おむつを嫌がって 自分でトイレに行きます

祝詞をのり上げたり テレビを見て笑っています

新宮修練舎の修練後には、皆さんとランチにも出かけています

楽しそうに ニコニコしています

背中やお腹の皮膚のつやは

ツヤツヤ プルプルで 

シミも無く とてもきれいだと 褒められています

住み慣れた大阪から 引っ越してきて7年

母は、高山に来てから 「幸せになった」と言います。

「今が一番イイ」 そう思えることが幸せなのでしょう。

お金が 手に入って豊かになったのではありません。

お金を手放して とらわれから解放され 安堵したのです 

努力して 修練をすることで 

「幸福感」を手にしました。

皆大歓喜

このことが、修練の目的です。

毎日の修練!、これが 幸せの基本です

修練をすることが みんなの幸福につながります。

修練!頑張りましょう。

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母のこと101才, 健康で長生き, 日之本元極, 気のエネルギー, 気功教室, 気功法, 蓮花山, 飛騨高山

84才の時に

入門講座を受講した母親は

79才まで、お掃除などをして働いていました。

その「気力」が 長寿の源泉です

85才の冬 お正月に

中国の湖北省「蓮花山」(元極功法のふるさと)を

訪れたときには、

厳寒の中 早朝5時からの 

静功2時間の 修練にも参加しました。

小脳の老化によるモノなのか

身体のバランスが うまく取れなくて

両手を後ろに回して 歩いていましたが

日本に帰る頃には 両手を振って

自然な歩き方をしていました。

右肩が痛くて 腕があがらないので

円卓テーブルの上の 料理が取れず

脇に座った方々に 料理を取ってもらっていたのに

1週間後には、お世話になった方々に

料理を取って お礼をしていました

中国元極気功のふるさと 連花山での

貫頂と 修練の成果は

若返りを 可能にするほどの

功力でした 

今年101才になる母は

さらにバージョンアップした

日之本元極の功法を 修練しつつ

ほがらかに 「ありがとう」を欠かず

イキイキと 長生きしています。

自分でコツコツと 修練を繰り返す

気力と努力と功法の功力が

健康で長生きする 秘訣です

頑張りましょう! 修練

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母のこと年寄り, 日之本元極, 気功教室, 気功法, 派手な色, 赤い服, 飛騨高山

母親は、8人兄弟の長女として誕生しました。

兄弟の世話を 嫌というほどしてきた。

というのが口癖でした。

長女なので、下の兄弟たちが

着れる服を 親から与えられたので

「赤い服」を これまでに着たことが無かった。

「着させてもらえなかった」 という 

恨みのような 悔いが残っていました。

それでは、この「赤い服」はいかがでしょう? と

私が買ってきて 着させようとすると

「年寄りは目立ってはいけません」

「こんな 派手な色を着たら 笑われます」

「派手やから あかん あかん」

と 頑固に 断り続けるのです

ところが

人格統合調和法を 受けた頃からか?

口癖に大きな変化が 起こりました。

「年寄りは 暗い顔をしているから

きれいな色の服を 着ないといけません。」

「若い人は 地味な色がよく似合うけれど

年寄りは、明るくてきれいな色の服を着ないとあかんわぁ~」

と 下着や靴下に至るまで

真っ赤や 明るい色彩を 好むように変わってきました。

その昔 幼い頃の

「赤い服が着たかった」 という思いが

達成されて 解消したからでしょうか?

「きれいな色やねぇ~ ありがとう」

「新しい服」が着れるなんて幸せです。 と

かわいらしい言葉が 口癖になりました。

元気に老いて さらに 可愛いがられる

「年寄りになる」 

当たり前のようで、なかなか難しいものですね。

その達成のために

毎日の修練を がんばりましょう。

修練をすれば 叶います

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母のこと101才, デイサービス, 修練, 日之本元極, 気のエネルギー, 気功, 気功教室, 飛騨高山

私の母親は、今年101才を迎えます。

まだまだ、元気いっぱいです。

日之本元極の錬功会(2時間)に参加した後に

皆さんとご一緒に 時々 ランチも食べに行きます。

1週間に3日のデイサービスと

リハビリに半日通っています。

それ以外の日には、

日之本元極の錬功会に参加して

皆さんと一緒に 過ごしています。

修練と行っても

横になったり、休んだりしながらなのですが

それでも、2時間の修練後には

見違えるほど、元気になります

母親が はじめて講座を受講したのは

84才の時 

リュウマチを患っている 兄嫁が

講座を受講して 録音教材を聞いていたら

とっても 具合が良くなったのを見て 入門講座を受講しました。

自分が元気になることも 目的でしたが

私が修練をすれば 家族も一緒に修練するだろう!

みんなが健康になると良いな!

と 思ったそうです。

毎日、静功と按摩法(約1時間)を 早朝に

繰り返して 修練をしていたそうです。

朝日に向かって 静功をすると

時々 万華鏡のように キラキラ輝く光が

目の前に見えることがあり

この光が見えたときの 幸福感が

なんとも言えないほど 充実していて

一日中 幸せな気持ちになれるのだそうです。

つづく

母のこと

私の母親は 大ババタヌキは 95才

大阪から 高山に 思い切って引っ越してきたのは 4年前 

足繁く 日之本元極に 通って修練をしています


人格統合法を受講してからは マイナスの発言が

めっきり減ったので、施術を受けて 本当に良かったと 思っています。


さて、 昨日のこと


昨年まで 気に入っていた Tシャツを

今年も着るだろうと タンスから出してみたら


「なんか 暗い色やなぁ~ 」 

「これは 暗くて 黒くて 着られヘン 」 と言います


「えぇ~~ これは去年 よ~~着とったやつやでぇ~」 と

言いましたら、


「それは もう 過ぎたこと 」

「今は この色は 暗くて 着たくは無いわぁ~」 

「もっと きれいな色の服を着んと あかん」

と おっしゃいます。


これには びっくり目

「年寄りは 大人しく 目だたないように 地味で無いと アカン」

と しきりに言っていた 口癖が まったく変わっているんですよ


人は いくつになっても 変化するモノなんですよね。

良かったニコニコチョキ

日之本元極気功教室

母のこと

総合病院に入院した 母親は 血液検査や

MRI、レントゲン撮影、心電図など などの 

精密検査の 数々を受けましたが、

どこを どう 検査しても 異常が見つかりません。

まったく 正常値なのだそうです。

病院に 入院したとたん 腰の痛みも 軽減して 

食欲も出てきたので 比較的 元気を取り戻しました。

それでも まだまだ、腰の痛みは 続いていましたが

絶食で やせ細った身体は 毎日すこしづつ ふっくらして

遠方から かけつけた家族もそろって 安堵しました。

一方、大変だったのは 自宅です。

自宅は パジャマや 布団 枕に タオル さらに部屋中に 

邪気のにおいが こびりついていました。

絶食をすると 半端ではないほど 

邪気が 出ることは体験していましたが

これほど 出ていたとは…

私は 心配のあまり この邪気のすさまじさに 

気がつかずに 時が経ったようです。

それにしても 激痛だった 腰痛も 徐々に おさまり

母親は お腹の邪気脂肪が すっきりと減ってスリムになりました。

髪は、一気に黒みをおびて ふさふさに 量も増えました。

そして 一番の変化は 手相です。

よこに 走っていた 線の数々が 消えて

縦に走る 線が 増えたのだそうです。

具体的に どうして あれほど腰が痛んだのか??

どうして 食欲が無くなって 絶食状態になったのか??

よく分からないこと ばかりですが

元気を取り戻して 手相まで変化して ぼちぼち 歩き始めました。

しばらくお休みしていた 錬功会にも 参加しはじめました。

「カメ先生は 命を くれはったん やなぁ~~」 と 言いながら

少しずつ 日常を取り戻し始めています。

いつも 親切にしていただいておりますこと 感謝しています。

ありがとうございました。

不思議大好き ババタヌキ-image

母のこと

今日は 母親の退院祝いです。

娘と 孫 ひ孫 がそろって 食事です。

参加した皆が 「よかったねぇ」と 口をそろえます。

そして 付け加えて 一言 

「こうして食事できるなんて 二度と来ない と思ってたわぁ」 でした。

94歳 高齢の母親は、 二度と回復など 期待できないほどに 

衰弱していたように みえたのです。

そして

母親は 今日 「免疫力活性適正化手当法」の 講座を受講しました。

講座が はじまった とたん 顔をゆがめて 「腰がいた~~い」 と言います。

そのため、布団に寝させて 受講しました。

この講座は やはり 特別効力が メチャ 高いのですね。

自宅から 日之本までは 歩いて出かけたほど 

元気を 回復していましたが 講座の エネルギーで ノックダウンです。

これからの 好転反応が 楽しみでもあり 不安でもあります。

不思議大好き ババタヌキ-image

母のこと

3月31日から 4月8日まで 

母親は腰の痛みによって 起き上がれず 寝たきりの状態でした。

食べ物は 一切食べれず 味噌汁のスープなどの 水分だけを補給しました。

絶食状態にして 邪気を大量に排泄している状態だ とは 思っていましたが

何と言っても 94歳 42キロの体重は みるみる減って やせ細る毎日でした。

近くの医院に 往診を頼みましたが 脈はしっかりしていますから と

「痛み止め」 と「点滴」を 処方されました。

その後、「真っ赤な バラの花が開いたなぁ」 と 母親が言葉を吐くやいなや

「医療機関に入院させなさい」 と 天から言葉が降ろされました。

その時は夕刻、

「救急車を呼ぶのも騒がしいので 明日になってから受診します。」 

と私が伝えますと

「すべての準備は 整っていますから 今すぐに 入院させなさい。」

と 天から 言葉が 繰り返して 降りてきました。

仕方なく救急車を呼んで 入院させることにしたのですが、

病院に到着するなり 母親が言うのです。

「腰の痛みが無くなったビックリマーク」 と  そして

簡易検査の結果は すべて異常なしでした。

つづく

母のこと

母から 朝早く 6時10分頃に

「腰が痛い叫び」と 突然の℡が かかってきた

その翌日から 母親は 敷き布団にぴったりと張りついて 

びくとも動けない 状態に なってしまったのです。

起き上がることも 首をあげて テレビをみることも

寝返りを打つことも まったくできません。

ずっと 布団にへばりついています。

まるで、背骨を骨折した人が 固定されて ギブスベットに

寝かされているような 全く動けない 状態なのです。

少しでも動かそうものなら 「痛い いたい イタイ」と すさまじい悲鳴ガーン

寝ている状態で 食事をさせようとして スプーンで口に 運んだところ

「痛~~い」と また 叫びます。 どこがどう はてなマーク 痛いのかと たずねると

「とにかく お腹が痛いので、少しも食べれない叫び」 と言います。

そして 8日間ものあいだ 水と 野菜スープ と お茶と りんごジュース

で しのぐ時間が流れました。

救いだったのは、よく寝ること 身体を動かさずに 

布団を身体の上に 掛ければ ずっと 眠っていました。

その時ひらめき電球

これは きっと 好転反応

かならず、元気になるから なるようにしかならない。 

と 悟って 寝させておくことにしたのです。

そう悟ったのは  この 母親の緊急電話 の

予行演習のような 出来事が 昨年の秋頃に あったからです。

ある朝の 6時10分頃 

「早く 母親の所に 行ってあげなさい。」

「とても 困っていますよ。」 と 天の声が突然降ろされました。

大急ぎで母の家に 行ってみると まったく普通に生活しています。

慌てて 出かけた私に向かって 母親は平然として 言いました。

「こんなに 早くから なんか あったんか?」 と

なので、今回のことも 神様の意図することだとは 思っていたのですが

あまりにも 衰弱していく 母親を見ていて 驚きと不安の連続だったのです。 

つづく

母のこと

3月31日(日) の朝 六時頃に

母親から電話が かかってきました。

「腰が痛くて 動かれへん」叫び

「夜中に 腰が急に痛くなって 動けなくなった」 ショック!あせると言うのです。

さっそく、母親の元に駆けつけると

「動けない。 立てない。歩けない」ガーン と 言います。

ちょうど、一ヶ月ほど前から、腰が痛むことが 何度かあり 

そのたびに 半身浴などで 十分に暖めると 

痛みがなくなったので 入浴させて 様子を観ました。

この日が、

これから始まる 38日間の 寝たきり生活の 

幕開けの日になろうとは 私も 想像さえ出来ませんでした。

自宅での8日間の絶食(水分・ジュース・スープは少々飲みました)

30日間の 入院生活の 様子をぼちぼちと お伝えしようと思います。

そして、昨日から 

日之本元極へ 再び通い始めた母親が 言うのです。

「手相が変わった!!

身体が 元気になったら 手相が変わった!目

寝込む前には 手には 横の線ばっかり得意げ あったのが

縦の線が いっぱい 増えてきて 「手相が変わった」音譜

カメ仙人から 「命のプレゼントをもらったからかな…」