私は 小学生の時に いじめられていた ようです。
おかしな表現ですが、小学校の卒業の時に
「いじめてごめんね」 と 何人かの同級生に 謝ってもらったのです。
「ああぁ~あれ、いじめやったんかぁ」 と いじめられていた事実を知りました。
それで、「私は いじめられていたんだ。」と 判った次第です。
また、正義感あふれる 同級生から
「そんなこと 言って いじめなくても いいんやないの」 と かばって もらったこともありました。
その時には、「別に かめへんわ 。言いたい人には いわしといたらええネン」 と いうようなことを 言い返した 覚えがあります。
いじめられた内容は
「貧乏人」「いつも 同じ服ばかり着ている」「(文房具などを)~ なんで 持ってないのん」 等々という 内容だったのかなぁ と 思います。
ところが、当の私は いじめられた とは 思っていなくて
まぁ 言われることは (貧乏人で、いつも同じ服を着ている なんてことは)
事実だから 仕方がないよなぁ と
別段 意にも介せず いじめられていたとも つゆしらず 生活していました。
自分自身には なんとなく 訳も分からぬ 自信があったからかも知れません。
やはり 「いじめ」 の 定義は 当の本人が どう思うか という一点につきます。
大きくなった 今の 私は
ちょっとした いじめのような 悪口雑言くらいでは 傷つくことのない
頑丈な心を 持たせていただいているようで、ありがたいのですが
どんな 人も ちょっとやそっとで 傷つかないと 思っているところが 「玉にきず」
ガラスの心を 持っている人が いることを ついつい 忘れてしまいます。
でも この仕事
神様の 要求は なかなか 厳しいことばかりで
根っからの 貧乏人の ど根性で 乗り越えるしか 方法がないのです。