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食べないと 健康になれない という恐怖が私はある。
いえ、昔はそう思っていました。
日之本元極の功法に 出会う前のことです。

学校教育の中でも
ちまたの栄養学でも
医学でも

徹底的に
「栄養が不足すると 病気になる」と 教育されてきました。
それで、自分自身も 周囲にも 子供達にも

「食べることがいかに大切なのか」 を 話して実践してきたのです。
自然食や添加物の少ない 食品を選んできたし
随分気も遣ってきました。

だけど

日之本元極功法を 修練するようになってからは
炭水化物に偏る ご飯生活
魚も 肉も ほとんど食べないから

私は
栄養学では 「栄養不良」「栄養失調」なんだけれど
それでもとっても元気です。

今後は、食品の汚染も 心配だし
作物も 天候の不順で 出来るかどうかも分からないし

たくさん食べなくても 
三元エネルギーを満たすことで 身体を健康にする

日之本元極の功法を
世界中の皆さんに 知らせて行かなくっちゃ… と
強く強く 思っていますビックリマーク

日之本元極気功

「階ふた」の功法を 修練すると
「食べなくても生きていける」 ほど 
自然の中から
エネルギーを 取り入れることが 出来る。

けれど 今までは

太るばっかり…で、ありがたいとは 思えずにいた。
毎食 ご飯じゃ椀に 軽く一杯しか 食べなくても太る。
栄養学の常識では あり得ない 小食なのに
それでも 太る 

なので

好きなものを もう少し食べたいなぁ。 
と 不満に 思っていた。

が、しかし

東日本大震災があってから ふと、考えた
一日、一食おにぎりしか 食べられない 時に 
朝から、パン一個しか 食べられない生活が 
長く続いたときに

私は、太陽や月を見つめて 
我慢することが出来るだろうし
身体をこわすこともないと 思う。

階ふたの 功法の 奥深さはすごい!! と
つくづく思う。


終末の世の 変化が始まった
この時のための 功法だったんだろうな
と またまた つくづく 思う

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 地震

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阪神大震災の時に 尼崎市の実家で
偶然にも 被災した私は
その時の恐怖を まだ、忘れられずにいる。

そして、先日
地震の日から 2週間経った 
宮城県の牡鹿半島の海辺の町 女川町に入って
その 壮絶さを 目の当たりにして
ただただ、驚くだけだった。

阪神大震災では
地震後、いたる所に 生花が飾られたり
線香が 焚かれたり 
死を弔う光景が たくさん見られた。
つぶれた 家の下敷きになったであろう
その場所に 
生花やお酒や お菓子などが供えられていた
それを見て、悲しみの涙が出て あふれてしまうような 
ゆとりもあった。 

しかし、女川町の
津波の 脅威の爪痕には

死の弔いも ままならぬほど
津波の威力は 家屋も 車も 舟も 電車も 
ズタズタに切り裂いてしまった。 

人の死を 悲しむこと、
弔うこと
受け入れることも 
許さぬような 脅威が
目の前に 立ちはだかっていて

涙する ゆとりさえ、無かった。
私は、なぜだかとても 緊張して
「しっかり!しなければいけない。」と 
繰り返し 繰り返し 自分を励ますのに
精一杯だった。

阪神大震災は 怖かったビックリマーク 大変だったビックリマーク
けれど
今回の 地震と 津波は それ以上…

思わず 息をのんだ。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

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皆さんの お手元に届いた年賀状

その方、その家 によって

文字の奥に 秘められた
空間の景色が 違うようです。

もう お一人の方が
今年の年賀状「西風襲来」の 中の景色を
観てくださいましたので、ご紹介します。

******
年賀状をみました。
私も 同じように龍がみえます。

その龍のようすですが、
最初に観たときには

大きな白い 年をとった龍が
天に 向かって
「雲」を割るように 飛び込んでいく様子が
みえました。

そのあと、

観たときには
一対の比較的 小さな龍が
同じように
天に向かって 飛んでいく様子が
みえました。

photo:01

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縁あって
2才から 6才の子供達が 講座を受講した。

その姿の 頼もしいこと 楽しそうなこと
ニコニコ うきうき と
講座を受講している子もいれば

感情が吹き出して 泣き出したり
エネルギーが作用して
居ても立ってもいられなくて
動き回る子もいる

けれど、どの子も ちゃ~~んと
功法の 真髄を受け取っている。

これが、日之本元極功法の不思議

2歳の子供から
92歳の お年寄りまで
誰もが 修練できる 簡単で判り易い 
功法です。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 景色

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3/11 の 地震があってから
食事を 質素にしなければいけないような
気持ちが いつも 支配していた

だれも とがめないのだし、
飛騨高山は それほど 物不足ではないので

いつでも 買おうと思えば 買えるし
食べようと 思えば 食べれるのだけれど

なんだか、「おいしい」 と 感じて食べるのが
申し訳ないような 気がしていた

ところが 最近
緊張の糸が ゆるんできたのか
「おなかが、空いてきた」
「おいしいものを 食べたいな」 と 思うようになってきた。

ことの 大変さは変わらないのに
なんだか、緊張感を 忘れかけている 私がいる。

たぶん、忘れてしまいたいのだろう。
楽な方を 選択したいのだろう。 

福島原発の事故は、より深刻な事態になっているのに
なんだか 沈静化しているような 印象を受けてしまう。

感性も どんどん 鈍くなっているのだろう。

「これが、始まりですから
気持ちを落ち着けて ありのままを受け取りなさい。」 と 言われる
厳しい神の声にも うわのそら

事実に 共感しながら 心を定めること
難しくて 難しくて なかなか出来ないものですね。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 地震

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最近は
テレビを見る時間が 圧倒的に 多くなった。

そして、どんどん、悪化していく
福島原発の事故の 現状に 胸が 張り裂けそうになる。

が、しかし

最近は、放射線の専門家が
インタビューに答えて 「大丈夫です」
「ただちに 影響はありません。」 と断言している場面がやたら 多くなってきた

風評被害や
落ち着かない 気持ちを
ただただ、落ち着かせるためだけに
「大丈夫ですよ」 を 繰り返すのだろうか
疑問を 感じている

放射能の 本当の 害など まだ誰にも分かっていないはず
神でさえ、
「無形のエネルギーに大きな影響があります。」と おっしゃる。

今日、インターネットの記事を読んで
チェルノブイリ原発事故後の 追跡調査で
10年後、20年後の 癌の発生の増加や
子供の 脳の異常が 圧倒的に増えていると 書いてあった。

「大丈夫です」という専門家の断言が 本当なのか
「危険です」と 心配する専門家の話が 本当なのか

放射線物質を 体内に吸収してしまう 内部被爆と
レントゲン撮影などの 外部被爆とが
同じじ単位で 比較されていることも
「専門家の話」として紹介されてしまうのは なぜだろうか?

専門家であっても、
「原発はあぶない!」と 批評する
専門家は テレビには出れない

本当のこと は
誰にもみえないけれど 
真実を見詰める努力は いつもいつも 必要なのだろう。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

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地震のあった その時に
たまたま 子供が 保育園にいたので、
何はともかく 子供を迎えに行かなくては
と 必死で保育園に 行った。

たまたま、保育園は高台にあったので
子供も 私も 助けられた。
と いわれる。

この たまたまの 偶然は
たぶん、必然なのだろう

「かみひとえ」の偶然が もたらす技は
針の穴を 通すがごとく
数奇な 偶然を次々に 生み出している

地震から 17日たった 昨日
「ようやく 地面が揺れないところで 深い眠りにつきました。」と
言われた 女川町の皆さんは

安堵の気持ちと 同時に 
「なんだか、まだ、避難生活をしておられる皆さんに
申し訳なくてねぇ
」 と言われる。

このことも また 
役割としての 偶然と必然なのだろう

とにもかくにも
事実を すべて受け入れて、
与えられた 役割を果たしていくしか 道がない
のでしょう。

私も 皆さんも あなたも

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

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逃げるのが、早くても 遅くても
助かることは 難しかった と思います。
と話される 修練者のDさん

津波から 逃れようと 
高台の方向に 車を走らせていた
その時
目の前を 走っていた車が 津波に飲み込まれしまった。

とっさに、バックにギアを入れて
全速で、後退して
ふと気がつくと 

同じように
バックで後退していた 車は 姿を消していた

ただただ 必死に方向を変えて 高台を目指し
津波から 逃れることが出来た

もう少し早く逃げても 津波に飲み込まれていただろうし
もう少し遅く逃げても 命は失われていたことだろう。

「救われた命」は、
これから 
生きて働く「役割」を 与えられたと
いうことなのだろうか?

宮城県 牡鹿半島 女川町
不思議大好き ババタヌキ-日之本気功教室

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東北の大災害を目の前にして
「強くなければ やさしくなれない」の 言葉を
繰り返して 思い出す。

医療も 届かない
食べ物も 十分にない
寒さも おそってくる
衣服を着替える 快適さもなく
汚れを 落とす風呂もない

こんな 極限の状態にいるときに
「思いやり」の優しさだけでは 
自分も守れないし
人を助けることも出来ない。

「強くなければ やさしくなれない。」

日之本元極の 功法が
人のために 生きる「徳」と
自らを 鍛える「功」を 
修練の基本にしている 訳が

ようやく分かったような気がする。
修練者の皆さん

今こそ、修練をして「徳」と「功」を 積みましょう。