ある日の錬功会での 出来事です
「慧眼功」の修練をしました。
「慧眼功」は、身体の動作は 全くなく
ただ、ただ、ひたすら 立っているだけです。
立った動作のまま 意識を動かす 修練です。
階ひと「識眼功」・階ふた「心眼功」よりも
意識を動かす 所作が増えて もとつきわみ図を
身体にイメージで描くなど なかなか難しいのです。
その難しさゆえに 修練することを 敬遠してしまうこと さえあります。
その時に
ある方が、必死の思いで 意識を 集中しておられる様子を目にしました。
目をしっかりと開いて もとつきわみ図をみつめて
念訣の一つ一つを 確認しながら
必死に意識を 動かしておられるご様子に
目を奪われていましたら
その方が 繋がっている天地から
燦々と エネルギーが降り注がれていることに気がつきました。
神様は 必死の思いに 答えるように
三門を開き 天地からのエネルギーを 届けてくださるのだと
改めて 思いました。
必死の思いで 修練をすること
当たり前に出来ているように 思いがちですが
今一度 振り返ってみようと思いました。