命の終わる その時まで
私の母親は93歳
週に三回 デイサービスに通います
週に4回は 新宮で錬功会に参加します。
今日は その錬功を 私が担当しました。
私が 担当することは 数少ないのですが 時には担当することもあります。
私が 錬功を担当すると 容赦がありません。
ですから 相当疲れます。
「今日は、厳しかったワァ~」 と言うのが定番の 文句です。
静功も うとうと 居眠りをしてはおれません。
背中が曲がると 寝ている証拠なので
いつも 手厳しく チェックが入り 姿勢を正されます。
他の講師の方々は 痛々しく腰の曲がった姿の 超高齢の母親の
老骨にむち打つことは 難しいのです。 本当に、骨が折れるやも知れませんから
手厳しい私の指導に対して、修練が終わった直後には
「ああぁ~ しんどい シンドイ」 「えらかった 」 を繰り返すのですが
その日の夜に なると
「あれくらい 厳しくやってもらうと 修練した甲斐があるわなぁ」
「 厳しくてもらっても いいよ。」 と おべんちゃら を言います。
まあ 嘘ではなさそうです。
いずれにしても 中庸ほど 重要なことはありません。
さらに その時その時変化する ことがらの 中庸を見つけるのは とても難しいことですね。
それは そうと
「中庸」の 「庸」の文字 どこかでみたことありますよね。