緊張のいとが ゆるむ
3/11 の 地震があってから
食事を 質素にしなければいけないような
気持ちが いつも 支配していた
だれも とがめないのだし、
飛騨高山は それほど 物不足ではないので
いつでも 買おうと思えば 買えるし
食べようと 思えば 食べれるのだけれど
なんだか、「おいしい」 と 感じて食べるのが
申し訳ないような 気がしていた
ところが 最近
緊張の糸が ゆるんできたのか
「おなかが、空いてきた」
「おいしいものを 食べたいな」 と 思うようになってきた。
ことの 大変さは変わらないのに
なんだか、緊張感を 忘れかけている 私がいる。
たぶん、忘れてしまいたいのだろう。
楽な方を 選択したいのだろう。
福島原発の事故は、より深刻な事態になっているのに
なんだか 沈静化しているような 印象を受けてしまう。
感性も どんどん 鈍くなっているのだろう。
「これが、始まりですから
気持ちを落ち着けて ありのままを受け取りなさい。」 と 言われる
厳しい神の声にも うわのそら
事実に 共感しながら 心を定めること
難しくて 難しくて なかなか出来ないものですね。