増田先生のブログのご紹介******人の為に祈るということは、大変奇特なことだとは思います。しかし、果たして効くのかどうかもわからないことに長い時間かけて努力することは無謀なこと、そして無駄なことだと思います。元極功法では「功と徳」ということを大切にします。「徳」が有っても効力つまり力が無ければ 何の役にも立ちません。「功」つまり力が有っても 「徳」が無ければ、社会の役には立たないどころか 害になることさえあります。遠隔貫頂は元極掌門人であったとしても、張志祥先生の代まではやってはならぬということで出来る能力はあっても、やることを許されませんでした。私の代になって初めて歴代の掌門人からの許可が出て遠隔貫頂を施術する事が許されました。それを知ってか知らずか、階フタ伝訣もまだ受講していない段階で遠隔貫頂をやろうという事は、全く無謀なこととしか思えません。人の役に立とうと思うのであれば、少しでも早く功力をつけることです。「毎日の修練量増やす」「上の段階の講座を受ける」こうした努力の結果、自分の能力が上がり、効果を確認出来たら他人に対して施術することが 可能になるのです。現在の段階では、その人の為に 施術を力のある者に 依頼することしか出来ません。
「得」より「徳」
私は、小さい頃から 貧乏育ちだったからなのか?
試食コーナーが大好きな 大ババタヌキの影響なのか?
「得」することに 敏感に反応します。
「お得情報」には目がありません。
そういう条件が原因しているのか?
「徳を積む」 事に対して
誤解をしているところがたくさんあります
たとえば、
日之本の仕事を 手伝ってくださる方に対して
「労働」という認識が先に立って すぐさま
「報酬」 「お礼」 を用意してしまいます。
たとえば、
錬功会に参加する方に、
遅れて 途中参加だったりすると 参加費を
「おまけ」 してしまうことがあります。
神社に呼ばれて ご一緒に行くとなると
なるべく 費用を割り引きたくなります。
できる限り 「お得」に
割り引いてあげたい衝動が いつもあります。
私自身に 「得」 を最優先して
割り引いて貰いたい気持ちが あるからです。
そこで、いつも カメ爺先生にお叱りを受けます。
ココは、モノを販売しているのでは ありません。
天から与えられた 無形の力を
お渡しする 橋渡しをしているところです。
この日之本元極に 来られる方々に
「徳」を積んで頂くことによって、
天は 「無形の力」を 与えようとしておられるのです。
費用を割り引いて あげたりすればするほど
その方の「徳」や 天から与えられるはずの「無形の力」を
割り引いてしまうことになりますよ。
「損得」ではなくて、
「徳」を 積んで頂くために
我々は 働かなくてはなりません。
元極功法は 「安売りをしない」 ことが原則です
それほど 大いなる「力」を
お渡しすることが許された 功法なのですよ。 と
カメ爺先生の お話の趣旨は
深く納得をしている つもりなのですが
「徳」と「得」 の見分け 区別 が
いまも 苦手なババタヌキです。
お得情報は やっぱり好きです!
「徳」と「功」は車の両輪 3
日之本元極功法には、養徳標準(努力目標・指針)があります。
その項目の12番目に、 「12 贅沢・怠惰せず」 があります。
本日は、職業の話です。
職業によって、人を差別することは
よいことではありませんが、
以前に、職業を「養徳標準」に照らし合わせて
問われるケースがありましたので、ご紹介します。
30代前半の若い女性でした。
「気功」に興味があり、講座を熱心に受講されました
修練も毎日欠かさず、2時間以上は 頑張っておられたようです。
近くの神社にも 必ずお参りして信仰心のある方でした。
錬功会にも できるだけ努力して参加されました。
貫頂も定期的に受けておられます
集中力も意欲もあり、間違ったも動作などなく
まじめに 熱心に 一所懸命に 修練をしておられたのです
しかし、
なぜか? エネルギーがいつも不足していたのです。
「どうしてだろう?」 と 不思議に思っていた時に
天の声が聞こえました。
「職業を聞いてごらんなさい」 と聞こえます。
それで、お仕事をうかがったところ、
宴会などの コンパニオンをしておられたのです。
そこで、
かめ爺先生が一言アドバイス
「その仕事を続けていたら、エネルギーはたまりませんよ。
もっと、自分を生かせる仕事を探してはどうですか?」 と
その時、ご本人が答えて おっしゃいました。
「私は、好きでこの仕事をしているのではありません。
私は、幸い国家資格の免許もあるので、転職しようと思ってはいるのです。
けれど この時代
短時間で、これほどの収入がある仕事は
ほかには なかなか見つからないので、仕方なくしているのです。」 と
この収入がなくなったら
今の生活が成り立たないし、気功の講座も受講できません。 とも
職業に垣根はありませんが、楽なだけの仕事をしていては
いけないという教えなのかもしれません。
しかし、具体的に
彼女の職業の 何が どう いけなかったのか?
本当のことは わかりませんでした。
「天」は心の中を 観ておられるので
すべて、分かっていらっしゃるのでしょう。
しかし、我々人には 謎のままです。
私の推測では、楽をしてお金を得てはいけない
という導きなのかなぁ~ と 推し量ってみるだけのことです。
「徳」と「功」は車の両輪 2
日之本元極の功法は、自分で努力して修練をして
自分でエネルギーを取り入れたり、気の通り道を
開発したりすることで 体も心も元気になる功法です
ですから、
「体のことは、すべてお医者さんにお任せします」 とか
「自分で病気を治すよりも 治してほしいのです」 とか
「私は、病気なんですから 自分で努力するなんてできません」
などなど 受け身で、依存的な気持ちで 生きている方々には
受け入れられない 功法かもしれません。
そのうえ、
「修練だけではいけません。
世の中のために、修練をするのですよ」 という
レベルの高い 「要求(努力目標:養徳標準)」があります。
この「要求」は、階を上がれば上がるほど
高くなり より極まっていきます。
階む、階ひとの段階では、それほど厳密に
求められることはありません。
ある時、階ふたを受講する予定の受講生に
かめ爺先生から お話がありました。
この方は、
修練はきちんと長時間できるし、
ご自分のご家族に、貫頂をしてあげるために
頑張っておられる方でした。
かめ爺先生はおっしゃいました
「パチンコ」を止めなさい。
これ以上、賭け事を続けていては、
あなたの能力の向上は 望めません。
養徳標準に「偸盗や博打をせず」とあります。
この受講生は かめ爺先生の
忠告に従って、パチンコを止めることを決意したそうです。
ところが、これで打ち納め と決意したその日に
かつて 経験したことのない 大儲けのダイフィーバー
固い決意が大きく揺さぶられたそうです
天の試練に耐えて パチンコは二度としないと決意して
階ふたに進み 事なきを得たとのことです。
「徳」と「功」は、修練の基本
「養徳標準」を大事にしたいものです
「徳」と「功」は車の両輪 1
日之本元極の功法には、
「元極養徳標準」という努力目標があります。
当たり前といえば 当たり前のような
約束事でもありますし、努力目標、道しるべ、指針
となる大切な項目です
たとえば、この一番最初には
「人類に幸福をもたらすことを自らの責任とする。」
という高い倫理観を求めた項目があります。
そのほかには
「親不孝をせず」
「高慢なふるまいをせず」
「表裏一致」
などなど 身近に感じる項目もあります。
元極功法は、偉大な功法です。
本当に 高い功力があります。
修練をして与えられる エネルギーのレベルは
とてつもなく高くて 尊いものです。
ですから、
これらの養徳標準に反する行いがあれば
とたんに、修練や施術などで あたえられたエネルギーが
失われることになります。
階む や 階ひと のレベルでは
それほど厳密に、厳守することを求められないのですが
階みの段階の 指導者たちのレベルでは、
「(前略)~~日之本元極の指導者にあるまじき心象が顕れれば
その刹那、効力は途端に失われることになります。」
と 教科書に明記されています。
私は、すでに 指導者なので
この養徳標準の示す道を踏み外すことなく
歩かなければ なりません。
このような 生き方は少々窮屈では ありますが
当たり前の生き方をして
よいと思うことを努力すれば よいだけのことだと
思うようにしています。
つづく