寝言・戯言

自然食に 捕らわれていたことがありました。
玄米菜食、豆、根菜を主体として

野菜ジュースもたくさん とって  
自然の恵みを頂くように 飲んだりしました。

酵素や若芽の青汁も 飲んでみました。
身体によいと 言われても お腹は水びたし
お腹は、ひんやり冷えてしまいました。 
方法が、間違っていたのかも知れません。

かたや、
栄養価に捕らわれた食事に こだわったこともあります。
栄養の管理をしっかりした 学校給食のような食事に
捕らわれて 子供の成長のためにと 計算ずくめの食事になりました。

豊かなはずの食卓は、肥満を生み出すような
食べ過ぎの 食卓になりました。

いろいろ、体験してみて、
今、現在 私が行き着いたところは

「食事は、おいしく楽しく食べる。」
これが、一番大切!!

食事は、内容ではなく「おいしく」「楽しく食べる」
このことが一番大事。

知識偏重、捕らわれた食事では こころも 
身体も満たされないんじゃあ?? ないのかな?
そう考えはじめたんです。

身体のために、良いはずの食事ですが
食事を食べることが 「喜び」 とはいえず

何だか、薬を飲んでいるような 
義務感で食べているような気持ちでは
やっぱり、健康にはなれない。

少々 塩辛くても 甘くても 偏っていても
大丈夫。大丈夫。

食べたいモノを おいしくいただく
身体の要求(嗜好ではなく 身体の要求です。)するままに、
素直に食べれば良いんじゃないのかな?

不足した「もの」は、三元エネルギーで 補えばいいんだもの

修練をして、三元エネルギーを補いながら
な~んにも 捕らわれない食生活ができたら
それが一番だと ようやくたどり着いたところです。

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 ほとけ

寝言・戯言

食事をするために 「店」に入った。
ふと、扉の開け閉め不具合の音がした 「気になる」

店の最初の印象だから 手入れしておけばいいのに… と
またまた 「気になる」

店は満員なので 店の前で 待たされる。
ところが、店の中は 空席がたくさんある。

どうせ待たせるのなら、席に案内して
待たせることを説明すればいいのに… と
「気になる」

給仕の方々の 手際の悪さが 「気になる」
新しい店で、教育の方針が定まっていないんだ。
リーダーがいないんだ。 と ふと思って 「気になる」

食事の味は、ありきたりの味だった。
でも なぜだか まずいとは思えない 活気のある味がする。
「勢いのある味がした。」

厨房では若い人たちが 活力をもって仕事をしているんだな。と
「気になる。」

元極の修練を始めて ふと 気になることが増えた。
感性が鋭くなったのは確かだが、 私の場合は 文句が多い!

これは、私の元々の性格なのか? 年のせいなのか?
もっと 生き生きとした、希望に満ちた感性は 育たないものだろうか

「ふと 気になる。」

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 なら

寝言・戯言

「癒やし系」とか
「癒し」とか

世の中に 言葉があふれるようになった
自分のために 時間を過ごしたい。

私を癒やしたい。
私を癒やすために 「おひとりさま文化」も誕生した。

それで、本当に 癒やされるのだろうか?

私は思うんです。

自分のために 時間を使って ロクな事はないって
断言します。
もちろん、私の体験です。

おいしい物を 食べれば 食べ過ぎるし
お酒も楽しいけれど ついつい飲み過ぎるし

買い物でストレスをはらすと お金もなくなるけれど
それ以上に むなしいし、片付けも増えるし、 ゴミも増える。
結局忙しくなる。

だから
自分を癒やすために 生きるより
誰かのために 時間を使った方が 楽しいし、なんだか嬉しい

「癒やしてくれない。」と文句を言うより
誰かのために 生きることが出来たら いいんじゃないのかな?

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室

寝言・戯言

高山は大雪。雪
今朝は、車が雪に埋もれて 駐車場から出られずに
たくさんの方に 手助けしてもらいました。

雪かきをしてもらい、車を押してもらって ようやく発進しました。
「ありがとうございます。」 と 「すみません」 を 何十回も繰り返しました。

「こんな時はお互い様ですから…」と
笑顔を返してくださった若者のさわやかさ
嬉しかったです。 

ありがとうございます。

「自分のしたことは、全て自分に返ります。」 
という宇宙の原則を思うと
私は、やっぱり お返しをしなくちゃいけない。

私は、この「ありがとうの気持ち」を 
誰にお返しすればいいのでしょう。

私の出来ることを精一杯 するしかないのですね。
日之本元極で、「しあわせ」になれること を
多くの方に 知らせなくっちゃ 音譜

不思議大好き ババタヌキ-日之本元極気功教室 みち

寝言・戯言

高校生の時に
将来は、看護婦になると決めていたので

将来に役立つように、
いろんな仕事を体験しようと 考えました。

スーパーマーケットの 肉屋の店員
喫茶店の ウエイトレス
お総菜屋の店員
鞄屋の 掃除と店番
民宿、旅館の手伝い
釘工場での 作業
文房具の販売

などなど
いろんな仕事を体験して思ったことは
いかに、相手の立場を想像できるか 
相手の気持ちを共感できるのか
という課題でした。

そして、一生涯人に関わる仕事をして暮らしたい。
と、考えていました。



若さあまって、相手の気持ちばかりに
捕らわれていたのだと 思います。

あれから、40年

年を取って 今 思うことは、
相手の気持ちに 捕らわれないで
如何に、公平に 事柄を判断できるか?
ということが、課題になりました。

「仲良しだから…」 「友達だから」 「有名なお金持ちだから」 
という概念を捨てて

いかに、公平に 人の立場を考えることが出来るかが
私の課題だと考えています。

そう考えて、公平に接することが
あなたの役割だと 神様から 伝えられてもいます。

さて、いったい私は、
どんな役割を果たさなければいけないのか

まだまだ、見当がつかないのが 現状です。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 旭川神社

寝言・戯言

過去にとらわれていると ついつい、文句がでる。

あの時に、
「こうしていていれば… 良かったのに 」

あの時に
「こうしてくれたら … 良かったのに 」

過去を振り返ると
気持ちが腐る。

未来を見て 歩けば 輝ける
常に、未来を見て 歩きたいモノだと思う。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 小樽のすしや

寝言・戯言

私が、10歳の時に、父親が死にました。
我が家の 宗教は 禅宗妙心寺派でした。

お坊さんが、お葬式の時に お経をあげてくれましたが、
良く覚えていません。 印象としては、何とも 嫌な 響きでした。

その、お坊さんの立ち振る舞いが、なぜか、嫌でした。
私は、悲しいからだ。  と ずっと思ってきました。

父親のお墓は、経済的な理由で お墓が建てられませんでしたから
兄の通っている キリスト教会の納骨堂に 納めてもらいました。

金額が安かったからです。

「神も仏も ない。」 
誰も助けてはくれないのだから、自分で努力するしかないと 思いました。

物心ついてから、神社仏閣に行っても
手を合わせて 拝む、参拝する、祀る

と言う気持ちは、一切ありませんでした。
神の存在は、無いのだと思いこんでいたのです。

日之本元極に巡り合う前までは …です。

寝言・戯言

小学4年生の頃、兄に連れられて通っていた キリスト教会で
「結核のビデオ」を視ました。 もう、45年前のことです。

ネパールの人々は、結核に感染して、平均寿命が27歳だそうです。(当時の覚え)
そのビデオを視て、

「私は、必ず困っている人の為に生きよう。」 と
なぜか 立派なことを決意したのです。

よくよく、考えれば、父親が死亡して 貧困の最中にある私は、
もっと 「困っている人」 だったのかも知れません。

学費が 安くつく看護婦を選択して
学費が かからない 赤十字の看護学院へ進みました。

「人のために、なる仕事をしたい。」
この幼いときの 決意が 今も生き方の支えになっています。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 白い花

寝言・戯言

私が、小学校四年生の頃
兄に連れられて、キリスト教会の日曜学校に通っていました。

日曜学校の先生が、
「神様は居ると 思いますか?」 と問われました。

私は、すぐさま答えたのです。

「信じる人の 心の中だけに います。」 
「私は、信じていないので、私の中には 神は存在は、いません」 と

私は、その時に神の存在など 全く信じてはいなかったのです。

けれども、ちょうど、その頃
父が、胃ガンで 突然亡くなりました。 55歳でした。

親しい牧師さんが、たびたび訪れて、ケアをしてくれていたようです。
神様を 信じている方々は、優しい方が多いんだと 思いました。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 景色

寝言・戯言

先日、私のブログを読んで、問い合わせくださった方がいます。
発達障害の子供さんの 事例の数々に 興味を持ってくださったそうです。

しかし、このブログには、子供のことだけではなく
「神様」のことが、度々出てきますが、宗教なんですか?」 と問い合わせくださいました。

宗教ではないのですが、通常では出来ないことを するのですから
やはり、神の存在が 関わっているのです。

と説明しましたが、分かっていただけませんでした。

私も、長い間、神の存在など 信じないで過ごしてきた 無神論者でしたから
「神が関わっている「気功」では、信じられない」という気持ちがよく分かります。

けれども、日之本元極の功法には、神が深く深く関わって くださっているのです。

babatanukiのブログ-日之本元極気功教室 はな 白