子供は、(神に) 供えると 書く。
今までは、「子ども」が 正しいと思ってきた
子どもの人権を 守るために
「子供」は 供え物ではないから
「子ども」 と書きます。
と主張してきた。
しかし、こどもは、
「子供」で良いということが ようやく分かってきた。
気功教室で講師をしています。中国元極功法800年の伝統を受け継いだ功法です。
「お金が無いので、講座が受けられない。」 と
残念そうに言われる方がいる。
「とても受講料に回す ゆとりがない。」 と 嘆かれるので
なんとか 無料の範囲でしてあげれることを あれこれ考えた。
ふと、受講生の車を みたら 車は新車だった。
彼の体の状況は、とても悪い状態 なのだけれど
体の健康のためには 回せないのだろうか?
それとも、日之本元極の功法に対する 本当の信頼がないから
体の良い「お断りの決まり文句」 として
「お金がない」 と 言っただけなのだろうか?
物の価値が、お金で判断される時代なので、
日之本元極の功法は 「安売りはしてはいけない。」 と
厳しく 諌められている。
生徒に、ヒステリー発作(過呼吸発作) が起きたら
大切に 守らなければいけないことがある。
「自分の力で 元気になりなさい」
「人に依存してはいけません。」 という指導である。
依存欲求から 救うためには 自分の力で立ち直るしか 道はない。
お節介な 優しさが 未熟な女性徒の 成長をこばむ。
中途半端な 優しさは ヒステリーを増長させる。
優柔な やさしさは 歯がゆい結果しか 生み出さない。
ヒステリー発作を 起こして 周りを混乱させることが出来たなら
倒れて訴える手段が 成功すれば
この「方法」 が
有効であることを 彼女たちは学ぶ。
そして、周囲をもっと 混乱させて 生きることを学ぶ。
特に、男性は 気をつけて欲しい。
女性が、この種類のヒステリー発作を 起こした時には、
「優しくしないこと」 その 一語に尽きる。
生徒数500人程度の 中学校で 過呼吸発作が 集団発生した。
その数、27人
その中学校に 勤務する 知り合いの養護教諭は、
心優しく、思いやり深く、丁寧な仕事ぶりで 誰からも慕われている。
仕事熱心な彼女は、職員会議で、訴えたそうだ。
「彼女たちの「寂しい気持ち」 心の内面を 分かってあげてください。」 と
ところが、発作は、拡がり続けて、ますます学校は混乱し始めた。
「どうしたものか?」と私に相談が、あったので
「何もしないことだよ!」と返事した。
そして、
拡がっていった時のことを分析して
三人目、四人目、五人目に症状を現した生徒を 見つけて
彼女たちに 話してあげて欲しい。
「過呼吸は、子供の病気だよ。」
「こんなに、しっかりしている あなたには 似合わないよ。」
「誰かに助けて欲しい。甘えが、発作に結びつく。 」
「あなたには、似合わない病気です。」
と諭して話してあげることだと 思います。
等々、アドバイスをした。
過呼吸発作を 拡げる役割をした(集団としての影響力のある生徒)
彼女たちに 話してあげて欲しい。
「過呼吸は、子供の病気だよ。」
「こんなに、しっかりしている あなたには 似合わないよ。」
「誰かに助けて欲しい。甘えが、発作に結びつくんだね。 」
「あなたには、似合わない病気です。」
諭して話してあげるならば、しっかり者の彼女たちは、
自立の道を選ぶでしょう。
等々、アドバイスをした。
心は、まるで 感染するかのように 人から人へ 「うつる」
ならば、「しっかり者」の意識も感染するはずだと 考えた。
苦しんでいる生徒を前にして、何もしないことは かえって、辛くて 苦しい。
親切で有ることの方が、自他共に認めてもらえる。
けれども
本当の優しさは、「強さ」だと思う。 強くなければ、優しくは なれない。
物事の 本質を見極める「力」と強さが必要だと 思う。
かくして、集団発作は、終息を迎えた。
なぜ、終息したのか は 分からない。
「虫が知らせる」 と表現することがある。
多くの場合には
あまり 良くないことが 起こるような第六感を意味する。
日之本元極の修練を初めて、7年が たち
日常的に 「むしが知らせる」 出来事が 起きている。
四六時中 、ふと 想い
ふと、感じることが ある。
第六感は、ますます 強くなり
虫の知らせなのか
第六感なのか
見当もつかないことが多い。
夢も 多い
私の場合には、ほとんど 天然色
はっきり、声も聞こえて ニオイも
感触も 感じる
自分の意識 「自我」 はいったい どこにあるのやら…
たぶん、これが 特異効能なのだろう。
人のために、使うと 神様に 約束したから
与えられた「力」は 必ず
本来の目的のために 使わなければいけない。
何とも、不自由な生き方だけれど
もう、最後のその時まで あまり時間が無いのだそうだ。
あと、もう少し 頑張ってみようかな
必ず人のために 使いますから
私に「力」をください。
と 神様に懇願したその時から
何だか、意識が降りてきて うるさいほどに
話をされる。
たわいもなく、世間話もあれば、
貴方の欠点です。
から始まって、人のうわさ話までする。
神様は 実に おしゃべりだ。
どうして、そんなに おしゃべりなんですか? と聴いたら
これは、貴方の為に
「聞き取る練習を させているのですよ!」
「人(神?)の気も知らないで 」
と叱られた。
神様の気持ちなんて 絶対に
私には 分かりませんよ。
神様が、あなたの聞き取りの練習だから と
ずーっと、ずーっと 話し続けてくださった。
嬉しいけれど、あんまり続くと やっぱり、やかましい。
どうして、そんなに おしゃべりなんですか? と神様に 聴いたら
これは、貴方の為に
「聞き取る練習を させているのですよ!」
「人(神?)の気も知らないで 」
と叱られた。
神様の気持ちなんて 絶対、私には 分かりませんよ。
でも、どうして、こんなに未熟な私に
神様は 話を聞かせるんだろう
もっと、立派で、偉い行いの人が いるでしょうに …
と、増田先生に聞いたら
「偉くて立派な人は、こんなに 労が多いだけの仕事は、引き受けないからね。」 と言われた。
なるほど、そうかも知れない。
日之本元極には、特異効能者が大勢集まって 来ている。
神の姿や 身体の中の 神の存在が 鮮明に 見ることが出来る 人も複数いる。
時々、神様から指令が届く
「龍の絵を書かせなさい。」 と
そして、彼にみさせて、彼女に書かせなさい。
とか
「見る者は、現れて 来ます。」
とか
突然、指示があるので 驚くことばかり
見ることが出来る人が お腹を覗いてみると
大きな口の まっかな「錦鯉」 がみえたりするようだ。
なんの意図が あるのか分からない。
私たちは、今はまだ これから先も
聴く練習、
見る練習を
していくのだろうか?