天から降ろされる言葉
私は 役割として
天から降ろされる言葉を
受けとって、筆記する仕事をしています。
たいそうな仕事だと 私は思うのですが
カメ爺先生からは、いつも淡々と 受けとりなさい
と ご注意をいただいています。
あなたに中味が無くて、空っぽだから
常に何も考えずに ボッーとしているから
天が 言葉を降ろしやすいのですよ。
淡々と受けとる。
ただ、それだけでよろしい。 と
かめ爺先生は、おっしゃいます。
天から下ろされる言葉の ほとんどは
「カメ爺先生に伝えなさい。 」 と 指示される場合が多いのですが先日は 錬功会に参加した修練者にも 言葉が降ろされました。
珍しいことです。 しかも 結構な長文でした。
きれいに清書してみると、A4の用紙に二枚ほどもありました。
降ろされる言葉を そのままに
速記のようにして 乱雑に書くので
後から読むのにも 苦労するほどです。
その時に使う 紙が 広告の裏紙です。
もっぱら、パチンコ店の宣伝ばかり、
カメ爺先生が、修練者の皆さんに、読んで聞かせてくださることも
時々ありますが、先生の手の中に見えるのは
なんと 「パチンコ店の宣伝」なのです。
そのようすが、「いとおかしい」ので
私は いつも笑ってしまいます。
しかし、時々参加者の中から (パチンコの宣伝の紙をみて)
「あれでは ありがたみがないよなぁ~」 という
社会通念上の常識的な声が聞こえてきます。
神様が降ろされる言葉は とんでもなく ありがたく
滅相もない言葉 なのですから
「仰々しく 奉って お言葉を申し述べる 」 という
スタイルが 社会の一般常識的なことなのです。
ところが カメ爺先生のスタイルは、
「広告の裏紙」に象徴されています。
いつも、たくさん 神様は、降ろしてくださいます。
神様は 世間の常識よりも
もっと 身近に もっと 日常的に
いつも そばにおられるのです。
常日頃から 見守ってくださってるんだから
神と人との関係は 日常の中に 成り立つものです。
と おっしゃいます。
この気取らないスタイルが
気功教室日之本元極の 基本のスタイルです。
広告の裏紙に 天のお言葉を書き留める作業も
気取ったところがなくて 好きな仕事の一つです。