喜ばしいことです。
日之本元極の 「さとりシリーズ」
「さとりの法」「さとりののりしろ」「さとりののりあいぶね」 を
受講されると
人の五つの意識の ありようが 説明されます。
修練することは、身体を癒やし 心を磨き磨くこと
徳を積み
神の存在を信じ
神の意図に すべてを ゆだねる
いさぎよい決断をすると
縁ある人をも 救うことが出来る 功法です。
そんな 出来事が 最近 ありました。
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病身の お父さんのために 修練を積むことで
お父さんの無形の意識が 浄化されて 昇華する
自分の 心身だけではなく
自分に 縁ある人のために 修練をつむと
その 努力の 成果によって …
その 役割の 重さによって …
その 引き受ける 度量によって …
縁ある人を 救うことが 可能になります。
一意専心に修練をされた 修練者の 徳と 功は
たとえ お父様の肉体を救えなくても
無形の意識を 昇華させる力になります。
それを 神様は「喜ばしいことです」 と 表現されて
「良くなります」「必ず 良くなります」 と繰り返されるのです。
一回切りしか 生きることが出来ない 肉体よりは
何度も 生き変わり 輪廻転生している
無形の意識を 昇華させることの方が
神様にとっては 重要な ようです。
「まことに 喜ばしいことです」 と 繰り返し 繰り返し聞こえてきます。
そして その祝福に答えて
「ありがとうございます」 と いう お礼の言葉も
繰り返し 繰り返し聞こえてきます。
目の前の 肉体への執着が消えない私には、
神様が言われる
「喜ばしい」の本当の意味が
まだまだ 分かっていないようです。