修練と 「場」の 善し悪し
新宮支部で
修練を している方々の
ご様子を 感じて観ることがあります。
ある方の 場合
ご自分の邪気が出るやいなや
すぐに 吸い取られるかのように 消えて無くなってしまいます。
線香を焚かずとも きれいで すがすがしいのです。
清らかで 清浄な空気のなかに しばし足を止めて 立ち止まってしまいます。
しかし、なかには どうしてなのか
「場」が 悪くなってしまう方も いらっしゃいます。
もちろん、修練をし始めて 間もない方の 場合もありますし
身体や 心の状態 が まだまだ 回復途上の方もおいでです。
もうひとつは、
神様の いと(意図・糸)の 場合があるようです。
自分を 見つめる力が 弱かったり
人への 思いやりが なかったり、
信じる気持ちに 迷いがあったり
養徳標準から 外れている方々です。
これらは、上級者の場合に 多いようです。
なんと言っても 上級者が 修練をすると言うことは
神様方の 見張り付きです。
神は 自己を しっかりと見つめ直して
正していく 厳しさを 要求されているのでしょう。
ご自分が 修練なさっているときに
「場」の悪さを 感じられた 時には
もういちど、 自分を 見つめ直してみましょう。
まずは、私からですね…