先日のこと
テレビを 音量をしぼって つけていました。
私は 掃除や洗濯の時に テレビをつけています。
というか あまり意味無く 付けっぱなしに しています。
その時 子供の 紙おむつのコマーシャルが 流れていました。
その紙おむつのコマーシャルに 目が点 になるほど 驚いたのです。
そのコマーシャルの 内容はこんなようすでした。
子供が 「つみき」で 遊んでいます。
とても 楽しそうです。
親はそのようすを 嬉しそうにみています。
そして 子供のお尻のアップ さらに 紙おむつが写って
こんなに 子供が 集中して遊んでいるときに
おむつ交換をしなくてもいいんです。
おしっこ3回分 もれない おむつ をどうぞ
アナウンスの言葉は たぶん 正確ではなくて 違っていると思いますが
おむつ交換で 子供の集中力を 削がないために もれない「おむつ」をどうぞ
という 内容に間違いは ありませんでした。
その昔、私が子育てしていた 30年~35年ほど前には
子供が 泣けば おむつを点検して 汚れていれば すぐに交換してあげる。
乳児期には 1日に20枚ほども 洗濯することさえありました。
「交換した すぐあとに かぎって おしっこをする」
心地よさからなのか そういうことがありました。
子供が 心地よいと感じるだろう 体の状態(お尻の状態)を 保ってあげて
オムツが濡れると 「気持ちが悪い」 という感覚を育てましょう。
それが 排泄の自立に つながります。
という 子育て理論が主流でした。
オムツを替えてくれて 気持ちがよい
ご飯を 食べさせてくれて 心地よく抱っこしてくれる
やさしく 声を掛けてくれて 基本的な要求を叶えてくれる
心安らかな あたたかい存在が お母さん
お母さんの存在は 子供の気持ちの 安定板だったのです。
そんなふうに 子供に 快適な身体環境を 与えてあげるのが
お母さん または 身近な保育者 だと 考え続けてきたのです。
ところが 最近の子育ての 主流は 「こころの過大評価」です
たとえば この テレビ宣伝の紙おむつ
おしっこ三回分を吸収しても もれません
オムツを 交換する度に 邪魔していた
子供のあそびに 集中する力を 邪魔せずに育てます。
というのは あまりにも 身体の快適な感覚を無視した
「こころの 過大評価」 だと 思えてなりません。