迷っていないで 前に 進みましょう。
「信じること」は 出来ても
「信じ切ること」 は なかなか 難しいものですね。
何が何でも 何があっても 「信じる気持ち」
本当に 持っているでしょうか?
信じていた つもりでも
いつも「効果」や「成果」を 追い求めているの かも知れません。
こんなに たくさん
一生懸命に 修練をしている 「のに…」
信じて こんなに長く 続けてきた 「のに…」
「のに…」の気持ちは どこかに 隠れていませんか?
よい結果が 得られると 修練をする
結果が 得られないならば 修練が出来ない。
この 当たり前のような 成果主義は
「信じる気持ち」を育てません。
こんな 条件付きの 気持ちでは
「信じている」とは 言えないのですよね。
だから、時々 神様は
どうしても 救いたい者には 救いの手をさしのべて
「いたずら」「意地悪」されます。これが、試練です。
この神様が もたらされる「意地悪」の
本当の意味を知ったときに
「信じきる 気持ちの 真価が 分かるのでしょう。」
この 意地悪は あなたの 不快な好転反応 かも 知れません。
少しも消えない 症状かも知れません。
「盲目的に ただただ 信じなさい。」
と いうことでは 無いのです。
信じる気持ちに 魔がさして 迷いは いつも 起こるものです。
わたしも いつも 魔がさして ばかり…
試練は いつも いつでも 用意されています。
さて… あなたは