5月17日の朝 9時頃に
前日の16日に、お亡くなりになったHさんから 言葉が降ろされました。
率直な言葉を聞いているうちに Hさんの満面の笑顔が見えて
そのうち 元極音楽まで聞こえてきました。
Hさんにいつ電話をしても 修練用の音楽がバックに聞こえていました。
ここからは、Hさんの言葉のままをご紹介します。
これまでは、
降ろされた言葉を そのままご紹介することはありませんでしたけれど
「これからは次々に 良い出来事が起こりますよ。」と天から降ろされましたので
皆様方にも 「ハシゴ」を登っていただくためにも ご紹介することになりました。
************
Hさんの言葉
私は、ただただ、もう少し生きたい、生きていたいという思いだけで、修練を続けてきました。
一日に8時間続けても、講座を受講しても、気絶神倉法の施術を受け続けても、私の病状は悪くなるばかりで一向に回復しませんでした。
こんなことを続けていていいのだろうか? と不安に思った頃に増田先生からお話がありました。
「もうこれ以上は回復しません」「肉体の命は諦めなさい」
と言われました。
さらに、続けて諭すようにお話しくださったことは
「肉体の命は、もうこれ以上生き続けることは出来なくても、
あなたの意識は生き残って神界へ行ける可能性があるから、修練をしっかり頑張りなさい」と 言われました。
このお話を聞いた時から
不安なことも 困難なことも苦しいことも 体の痛みも これを我慢すれば、次の世に生き残って
次の世を観ることが出来る。という思いで
「修練を頑張ろう!」と 思うことが許されました。
ただ一つ、心残りなのは
家で過ごしたい。家で死にたいと思っていたことですけれど
これは、長年一緒に暮らした家族の不安を思えば、到底出来ないことだと気がつきました。
「私を看取ってくれる」長年ともに過ごした家族たちを不安にさせてはいけない。という思いから
病院で最後を迎えることを余儀なくされたものの満足して、最後の時を迎えることになりました。
体が辛くて仕方がないので、早く逝きたい。
でも、もうちょっと 生きていたい。
そんな、思いと戦いながら、朦朧とした意識の中で 神様のお迎えを待っていました。
いつも 和やかな音楽が聞こえるので 私は、夢の中にいるような気持ちでした。
痛いところもあったし、不愉快なこともあったし、いらだつこともありました。けれども それはそれとして
もっと他の気持ちが 私の中にはいっぱいあって、穏やかに時間を過ごすことができました。もうこれ以上、悩んだり 不安になったり 恐怖を感じたりする必要はない。
悟った気持ちがあって、
楽々とした最後を迎えることが出来ましたこと、嬉しい限りです。
最後に、皆様とお供させていただいた 日之本元極の研修旅行「出雲への旅行」(3月27~29日)では
大変お世話になり、ご迷惑をおかけしたことと思います。
けれど、私にとっては「冥土の土産」という言葉が ぴったりなほど、
この旅行は楽しくて、嬉しくて喜びがいっぱいの旅になりました。
もう二度とは 叶わないであろうと、思っていた 喜びに満ちたこの時間を皆さんと
ご一緒に過ごせましたこと 大変ありがたく思っております。
それにしましても
私を最後まで 看取っていただきましたRさんには
本当に強い愛情をかけていただきまして、お礼の言葉もありません。
あなたが、何のためらいもなく 私の手を取って一緒に歩いてくださいましたこと
体を抱えてサポートしてくださったこと 本当にありがたく思っています
この感謝の気持ちは、きっと神様に届いて あなたの今後に役立つことだけを願っています。
さて、みなさん、私は
こうして みなさんとお話を続けることが出来る立場に来させていただきました。
私は 皆さんがこのはしごを伝って、この世界に来てくださいますこと願いながら待っています。
私のような未熟なモノでも 短い期間でしたけれど、懸命に修練したことによって
この「ハシゴ」を登らせていただきました
どうか、みなさんも 修練を続けることによって
この「ハシゴ」を 上ってきてください。
お待ちしています。
つづく