神倉神社の神様から「神倉石」の力をいただく 4

日之本元極増田先生

増田先生から伺った話の続きです

30年ほども前に、偶然が重なって

熊野三山のひとつ 速玉大社の別宮「神倉神社」に行った時の出来事です

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バスから見える「神倉神社の赤い鳥居」を見た瞬間
強く引き寄せられる気持ちが湧いてきて、後先を考えもせずバスを降り
一途に「神倉神社」をめがけた私は

巨大な岩を重ねて創られた 急な勾配の階段をよじ登って

山頂の「ことぶき岩」を目指していました。

3歳ほどの小さな男の子の手を引いて

悠々と参道を降りてくる 親子づれに出会った後に

肩の上に、40×20cmほどの岩の塊を抱えて
時々 頭の上にまで持ち上げるようにして
「いつもこうして持っていて、トレーニングしていますから重くはないですよ。」
とおっしゃる男性に出会いました。
山頂のことぶき岩にあるお社に参拝して、

帰りの電車の時間を気にしつつ 急こう配の階段を降りていた時のことです。

その不思議な男性の風貌について 
思い出そうとしても、ほとんど印象がなく
あまり覚えていないことも不思議です。
作務衣のような服だったのかもしれません。
裸足だったことと、

肩の上に持ち上げていた石の存在だけをはっきりと覚えています。

重いだろうに、石を頭の上の方まで抱え上げて、

いとも簡単に急な坂道を登っておられた印象だけが強く残っているのです。

神倉神社から帰宅した後、
しばらくは、出会った親子づれのことや 石を持った男性のことを思い出すこともあり、
元極功法の修練をしている仲間たちにも話をしていましたが、

時間の経過とともに忘れてしまっていました。

その後、平成16年10月24日
高山市中山の地に、最初の元極功法の練功室を開いたのです。
それからまもなく、神様の声を聞き取る役割のババタヌキに突然
「熊野三山に来なさい」と声がおろされたので、

懐かしい気持ちもあり、すぐさま出かけることになりました。

聞き取り役のババタヌキに
神倉神社での出来事の詳しい経過を話しますと「信じられない。」
という顔で 私の話を聞いていました。
平成16年に訪れた熊野三山の各神社(熊野本宮・那智大社・新宮速玉大社・神倉神社)の神様方は、
それぞれ歓迎のエネルギーは届けてくださったのですが、

私が体験したような不思議な出会いは無かったので、静かに高山に戻ってきました。

高山の中山の練功室で数日を過ごしたある日、
修練者であるお母さんに連れられて、一人の小学生の男の子が練功室にやってきました。
お母さんは困ったような顔をして事情を話してくださいました。

朝から頭が痛くて、朝ご飯を食べたらおなかも痛くなって
吐いたりもするので 学校へ電話をかけてお休みの連絡をしたのです。
すると、そのとたん元気になって
「ひのもとの神様が呼んでいるから中山に行く!」ときっぱりと宣言するのです。

あまりにも真剣に、話すので連れてきました。と説明してくださいました。

男の子が、中山の練功室に入った途端 
「お腹すいた!」というのでお餅を焼いてあげると3つもお食べました。

その彼が ますます元気になって話すことは

「宇宙の神様から 特別な石が届いています。」
「この石は、神倉神社の神様が増田先生に届けてくださったものです」

「その石は、この中山の庭にあります。」
「今夜、この石を見つけてくれる人がここに訪ねてきます」
「その人が来たら、石を見つけてください」と頼んでください。
「その人は、ハイ分かりました」と 答えます。
と一気に、休む間もなく話してくれました。

この話を終えると役割が終わったのか?

「お母さん、帰ろうか!」と言ってすぐさま自宅に帰っていきました。
きっと、神様の御用を済ませたので、すっきりとしたのだと思います。

その夜、ある男性が訪ねてきました。
「神様から、お役目を授かってきました。」
「お探しのモノを私が探します。」
「少し時間をください」と 言って中山の広い庭を歩き始めたのです。