「ハシゴ」を昇って天にあがる 2
昨日のブログを読んだ方から ご質問をいただきました。
「1日に8時間も修練をした のに どうして? この方は死んでしまったのですか?」と
世の中の常識としては 当たり前のようなご質問ですが、
5月17日(日)階ヒト4次元講座に参加された皆さんの前で
このことをお話しした時には、どなたも 深くうなずくばかりで
「肉体が死を迎えること」と「天に召されること」の意味を
深く悟ってくださっているご様子でした。
私は「どうして死んだの?」という質問の代わりに
「どうして神上がったのですか?」と神に質問してみました。
すると 神様は応えておっしゃいました。
「彼女はいつも 無心でした。」
不安も無く 欲も無く 恐怖も無く 心配さえ無い心構えでした。
愚痴も言わず 人を憎まず ひたすら感謝して過ごせました。
元気を失わず 明るく過ごすことに心がけました。
死を目前にして このように振る舞える人は多くはいません。
嘆いたり、悲しんだり、過去を振り返ったり、
生きていた証拠を残そうと躍起になったり、忘れないでと懇願したり
人はそれぞれ、のたうち回るような苦しみを死の淵で味わうのです。
録音教材を使って 修練をすることが許されなくなっても 焦ること無く
12字真言を唱えることを忘れず 「無心」で過ごすことが出来ました。
無理解な家族のことも 憎むどころか 気遣って感謝していました。
修練が出来た時には
1日8時間の修練時間を 何とか創り出そうと 懸命に努力しました。
けれど、家事もこなして おいしい食事も作りました。
単純な生活の中でも 時間を楽しむことも工夫していました。
「1日に6時間しか修練が出来ない。」と正直に答えて笑っていました。
「修練をしていると忙しくて、悩んでいる暇が無いの!」と 忙しさを生きがいにしていました。
体に障害を抱えていたから 特別のことをしなくても
日常の中で楽しむ工夫が出来ていたのでしょう。
特別に、大層なことが出来たわけではない人生のように見えて
人として、充実した人生だったと思います。
彼女は、与えられたチャンス(日之本元極の修練をする機会)をしっかりと受け取って 無心に、とんでもない努力ができたのですから 神上がりました。
つづく