叱られること
神様に 叱れることは 数多い
私は 根っからの貧乏人なので
「まけといてね。」と 一言 口癖のように言う。
なので、「おまけしてあげること」 は
価値あるサービスだと 思いこんでいる。
それで、受講生にも 「おまけしてあげよう」 と
思ってしまうことが 多い。
たとえば
錬功会に大幅に 遅れて参加しようとしたAさんに
あと、ほんの少しの 時間しか修練が出来ないのだから、
「料金をおまけしよう」 とすることがある。
すると、こっぴどく 叱られる
「お金を もらって あげなさい」 と叱られる。
せっかく、徳を積もうとして 代金を出すのに
せっかく、お金を払ってでも 修練をしようと 思って来ているのに
せっかく、功をのばそうとしているのに
にもかかわらず、 あなたは 本当に
カボチャや じゃがいもの おまけとは訳が違います。
無形の 「徳」と「功」の やり取りが
お金と 時間を仲介にして なされているんですよ。
われわれが、お金に見合った 成果を彼女に届けます。
われわれが、彼女の誠意に 見合った成果を彼女に届けます。
ですから
「おまけ」なんてしないで、きちんと お金をもらって あげなさい。
価値ある 「お金」の使い方を してもらいなさい。
等々と
叱られることが たくさん たくさん たくさん あります。
でも やっぱり わたしは
おまけが 大好きなんです。