ある方に、仕事のお手伝いを頼みました。
技術・能力の必要な仕事です。
天は
「無給で働いて貰いなさい」 と
いとも簡単に さも 当然のように
おっしゃいました。
「そんなこと 言えません」 と 私が断りましたら
必ず 「はい。わかりました。!」と 答えるから伝えなさい。 と
おっしゃるので、恐る恐る お伝えすると やはり
「はい。わかりました。」と 驚きの答えが返ってきました。
天は 給与は無くても
「礼は尽くしますから 安心して頼みなさい」 とも
おっしゃいました。
私は貧乏人なので、
給与の支払いの無い仕事を
頼むなんて 常識では 出来ないことですが
礼は、無形の形で届けるから 「徳を積ませなさい」
と おっしゃっているのです。
いつ届くのか
何が届くのか 判らないけれど
いつか 徳を積んだ結果は
「礼を尽くして届きます」 とのことでした。
それでも
「給与を支払うのは当然だと思います。」 と
私が反感を持ちましたら
天は 私に問われて言われました。
「あなたは 無給で働きますか?」と
私は、
何かあっても、この道を歩くことを決めているので
無給であっても 働くことにしています と 伝えました
すると 天は おっしゃいました。
そういう 「決意」を問うているのです
「決意」を持って 「決心」して働けるのか
淡々と 目的に向かって
無欲で 働けるのか?
そんな 心の中を
われわれは 観ているのです
あなたは 自分の常識を振りかざして
我々の 邪魔をしないようにしなさい。
と 叱られました。
無欲で 淡々と 働くって!
難しいことですね。