修練をする意味

日之本元極修練

修練をするということは
要らないモノを そぎ落とす作業を続ける ことになり
自分のための楽しみを いつの間にか手放して

生きる目的が 変化することなんだ と 気がつきました。

これまでにも 言葉では理解していたのでしょうけれど

本当に 気がついたのは つい最近です

階ヒト高級講座の 功訣は
「きみちて きのい みのい を ぬぎすてる
 つきひを こえた みよくよへ 」

というものです。

この短い功訣を聞いた 102歳の 母親が言いました。

「これは、般若心経みたいな意味かぁ~」と 聞くのです。

母親は、耳が遠くて
詳しいことは、何も聞こえないし、
理解できないことが多いのに

「般若心経か?」と 質問をするのです。

驚きました。

修練をするということは
人が、正しい道を歩くために
余分な「こと」「もの」を脱ぎ捨てて 
それでも 執着する気持ちを
脱ぎ捨てて 脱ぎ捨てて

ひたすら 歩くだけでいいんですよ。

と 悟ることなのかも知れません。

私は、まだ まだ
おいしいビールを飲みたいし
ウナギの蒲焼きも食べたいし と 

「欲」が居残っています

こういう 欲が無くなることを願って 修練することにします。
(ちょっとだけ「欲」を残しておきたいとは 思いますけど 😁)